辛酸なめ子「電車のおじさん」第14回

電車のおじさんに遭遇した玉恵。
渋い喫茶店でお茶をすることになり……。
投票所はおじさんのテリトリーだったのでしょうか。玉恵を喫茶店に誘う姿は、自信を漂わせているように見えました。おしゃれなカフェではなく、駅前の渋い喫茶店に連れて行かれ、主導権はすっかりおじさんにあるようです。
「あの、選挙はよく行かれるんですか?」
玉恵は何から聞いていいかわからず、まぬけな質問をしてしまいましたが、おじさんは、当然というようにうなずきました。
「5年前に、知り合いにちょっと頼まれて事務局長をやってたんだよ。ちょうど定年でやることがなかったから引き受けたけれど、もう大変だったね。政治の世界は、本当に厳しかった」
「事務局長……すごいですね」
「候補者の怪文書が飛び交ったり、ポスターに落書きされるなんてしょっちゅうだよ。人間が信じられなくなった。でも、悪いことをしているほうは絶対うまくいかないね。神様はいると思ったよ」
「なりふりかまわず相手を蹴落とそうとするんですね」
「黒じゃなくてグレーなら良い、っていう考え方がまかり通ってるから。今回の候補者の不倫疑惑が急に出てきたのも、相手側がリークしてるんだろう。ネットで広めようとしてるけど、高齢者はそんなの見ないからあまり影響ないみたいだね」
そんな知らない人のゴシップがあったなんて玉恵ははじめて知りました。ろくに候補者のことを知らず、今回もポスターの第一印象で決めてしまったというのが本音です。
「それでも議員になったら権力や収入が得られるから、皆必死なんでしょうね」
「選挙期間中は朝からずっと怒ってるか謝ってるかだよ。もうキツくてやめたけどね」
「そんななんですか……お疲れさまです」
政治に明るくない玉恵は、あたりさわりのないことしか言えませんでした。あのとき、おじさんが電車の中で激昂したのは、年齢とともに前頭葉の働きが低下して感情がコントロールできなくなっているから、なんて思っていたのですが、もしかしたら政治や選挙へのストレスで怒りっぽくなっていたのかもしれないと思いました。
しかしおじさんはそこからスイッチが入ったのか、政治トークから始まり、学生時代の安保闘争の話までしだして、玉恵はあくびを噛みころしながら涙目で相づちを打ち続けました。
「学生運動の三種の神器はゲバ棒と、粉じんマスク、それからヘルメット」
「攻撃的ですね……ヘルメットとマスクは今も使えそうですけど」
なぜおじさんは武勇伝を話し出すと止まらないのでしょうか。おそらくかなり盛っています。玉恵の会社の上司のおじさんも、宴会などで、昔下町の祭で暴力団員に刺青を見せてもらった自慢を繰り広げたりして、今のご時勢に大丈夫なのかと心配になることがあります。
そして今、目の前のおじさんは、いつの間にか日本の話から世界の話まで広げてグローバルな批判を展開していました。
「今、イギリスにもトランプみたいなのが出てきただろう。ボブだかジョンだかいう」
「ボリス・ジョンソン首相でしょうか」
「そう、そのボリスとトランプ、二人ともやたら攻撃的で似た者同士で、金正恩もそこに絡んだら世界が大変なことになる予感がある。全員の共通点は、体格が大きいのと、何よりヘアスタイルがおかしいこと。お互い通じ合うものがあって同盟でも組まれたら、もう地球人類は終わりだろう」
「たしかに、変な髪型同盟ですね」