辛酸なめ子「電車のおじさん」第15回

辛酸なめ子「電車のおじさん」第15回
中途採用でイケメンが入ってきた、
という噂で玉恵の会社は持ちきりに。
美人の婚約者がいるとはいうけど……。

 心の奥に満たされないものがあるときは、意味なく洋服屋をはしごしてしまいます。玉恵は最近、帰社する途中わざわざ新宿に遠回りして、駅ビルをあてどなくさまよいがちでした。LUMINEよりも最近はNEWoMANがお気に入りで、セレクトショップを回っては素敵だと思う服を手に取って鏡の前で体に当ててみたり、店員さんの営業トークを聞いてやる気具合をチェックしたり。新しくて流行の服に軽く触れるだけでもエネルギーを吸収できる気がします。ちょっといいなと思ったベージュのフラットシューズは、サイズがありませんでした。店員さんは他の店舗に在庫があるかどうかも調べてくれず「こちらは今36しかご用意がございません」とのことでした。次の店では、ストライプのクールなトップスに惹かれましたが、店員さんは「いらっしゃいませ~」と言っただけであとは放置でした。また別の店では、花柄のワイドパンツに心惹かれましたが、鏡の前で当てたりしていても店員さんはこちらに来てくれませんでした。あまり自分のセンスに自信がない玉恵としては、店員さんの一押ししてくれる言葉が欲しかったです。

(運命の一枚はどこにあるんだろう……)と、玉恵は心の中でつぶやきました。運命の一枚、服へのときめきを求めて、この場に来ているのかもしれません。日常の中の刺激を求めて……。恋に落ちるように服にひとめ惚れしたい、そんな思いを胸に秘めて、アフターファイブの玉恵はセレクトショップを渡り歩きます。これが運命かも、と思ったペイズリー柄のワンピースは値札を見たら5万8000円で、シルク製の高級品でした。自分に見合わない相手の場合はあきらめることにします。結局歩き回って無難なオフホワイトの7800円のトップスを購入。どんなボトムにも合わせられるデザインです。運命の相手もこうやって、結局妥協して、安定している人に決めてしまうのかもしれない、と自分の未来図が見えました。ときめきは試着くらいにしておいたほうが良いのでしょうか。

 でも、次の日会社に行ったら、妙に空気がざわざわしていて、鈴木先輩に聞いたら中途採用で入ってきたイケメンがいるとのこと。鈴木先輩はちょっと前まで玉恵と気まずい感じだったことも忘れて、色めき立っていました。

「営業部の奥野さんっていう人で、IT系から来たらしいよ。デジタルに囲まれていることに違和感を覚えて、やはり現代人は手書きに回帰すべき、というポリシーなんだって。30歳くらいで田中圭と綾野剛を足して割ったみたいなルックスだから、あとで見てみて」

「そんな物好きな方がいるんですね」

 しかしこの会社にイケメンが来るとは、かなりレアというか青天のへきれきです。若手の外山先輩は、フツメンの中のフツメンというルックス。他のおじさんの社員も、昔はかっこよかったんだろうなと思う人はいても、どこかバタくさくて古い顔立ちだったり、童顔おじさんだったり、太ってせんとくんみたいなルックスになったり、身なりに構わない残念なおじさんだったりで、とにかくフツメンがひしめいている環境です。きっと花形の業種、それこそIT系にはさわやかで有能そうなイケメンがたくさんいるのだろうと、別の世界のことのように考えていました。

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辛酸なめ子(しんさん・なめこ)

1974年東京都生まれ。漫画家、コラムニスト、小説家。近著に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』など。最新刊に『ヌルラン』がある。

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