辛酸なめ子「電車のおじさん」第22回

辛酸なめ子「電車のおじさん」第22回
仕事帰りに錦糸町に立ち寄った玉恵。
気づけばカーネル・サンダースの
人形に引き寄せられていました。

 会社で「祖父活」疑惑をかけられた玉恵。パパ活よりもさらにディープな語感です。社内でどのくらい広まっているのかわかりませんが、不思議と60代以上のおじさん社員が優しくなったような気がします。彼女は、結構年上でもOKなんだ……と、おじさんたちは心のどこかで受け入れられたような気になっているのかもしれません。それもキモい話ですが。副社長に「あの、君が企画した『手放しノート』、販売したら結構評判良いみたいだな」と突然声をかけられたときには驚きました。もしかしたら査定が上がってボーナスに加算されるかもしれないと、玉恵は期待。ストーカーと化していた外山先輩が逆恨みして流した噂ですが、結果的に会社で少し過ごしやすくなったような……。鈴木先輩にも「おじさん転がしがうまいね」と一目置かれるようになりました。鈴木先輩は先輩で、奥野さんを吹っ切ろうと努力しているようです。

「前、人相学の本で読んだんだけど、笑ったときに刻まれる目尻のしわの数が、女の数なんだって。奥野さん4、5本くっきりと刻まれてたし。何か笑った時の目の形がいやらしいんだよね」

 と、仕事の合間に小声で話しかけてきました。

「たしかに。私が聞いたことがあるのは、結婚線が何本か枝分かれしていたら浮気しているっていう話です。どうでしたか?」

「どうだったろう、奥野さんの手……」

 鈴木先輩は遠い目をどんよりさせ、奥野さんの手の感触を思い出そうとしているようでした。先輩は「手放しノート」の1ページ目に「奥野さん」と書いたほうが良さそうです。玉恵も、外山先輩への嫌悪感とか苛立ちを手放したいと思っていました。逆に動向が気になって、外山先輩のツイッターやSNSをチェックしてしまいます。ちょっと前についにオンラインサロンを立ち上げたと書いていました。フェイスブックで、ノートにまつわる文章を書いて、参加者を募っているようです。「月に一回のオフ会」「生配信トーク」「メンバー同士の交流」などを掲げているようですが、外山先輩のオフ会に来たい人はいるのでしょうか。キメ顔のバナーまで用意周到に作っていました。月会費は2000円。テレビに出ている著名人は月額1万円取っていたりするので、それに比べたら割安ですが、知名度がない初心者としては強気の価格設定です。「ブレイクスルーのノート術」というサロン名に意識の高さが漂っていて、玉恵はゾクっとしました。サロンを立ち上げてから、有名人気分になったのか、会社で見かける外山先輩は、妙な自信を漂わせるようになっています。サロンに集中することで玉恵への執着心が薄れると良いのですが……。

 仕事のあと、玉恵はボーナスへの期待をこめて、錦糸町に立ち寄りました。ショッピングモールに行きコスメなどをチェック。アパレルショップに立ち寄ったものの、服を何枚か見ただけでとくに琴線に触れるものはなく、小腹が空いたので気軽に食事できるお店を探しました。玉恵は気付いたら、ケンタッキーフライドチキンの前に立っていました。というか、カーネル・サンダースの人形の前に引き寄せられていました。創業者である白髪のおじさんが、白いジャケット姿で柔和にほほえんでいます。玉恵は、その手の微妙な開き具合が気になりました。ウェルカム! というほどのオーバーリアクションでもないし、ハグをしようというオープンさもない、友人として迎える雰囲気ではなく、あくまでオーナーと一般客という関係を崩さないという、用心深さと距離感があるジェスチャーです。

(この近付こうとしても近付けない感じと、かわいい笑顔に惹かれる……カーネル・サンダースは、元祖、推しおじさんかも)

 と、玉恵はしばらく像を見つめていました。ただ、その瞳もよく見ると笑っていないようで、心の内がわからないおじさんです。スマホで調べたら、カーネル・サンダースは苦労人で、陸軍、機関車修理工、ボイラー係、判事助手、保険外交員、タイヤのセールス、ガソリンスタンド経営など40以上の職種を経験していたようです。仕事で多少挫折しても、心を強く持てば大丈夫なのかもしれない、と思えてきます。



辛酸なめ子(しんさん・なめこ)

1974年東京都生まれ。漫画家、コラムニスト、小説家。近著に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』など。最新刊に『ヌルラン』がある。

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第117回
2020年啓文堂書店文庫大賞受賞! まさきとしか著『あの日、君は何をした』