ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第15回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第15回

息ぬきだったSNSが、
いまや「エゴサーチャー」という
仕事になりつつある。

しかし「SNSに絵を載せてくれる漫画家」というのはまだ良いほうなのだ。
中には本当にガチャのスクショ、食った飯、猫しか載せない奴もいるし、さらにストイックになると、画像すらあげず「風邪を引いた」などの体調不良を起こしたときだけつぶやく者さえいる。

おそらくこれは「読者が期待していたもの」ではないだろう。
中にはそれが不服で、プロアマ問わず絵を描く人のアカウントに「つぶやきはいいから絵だけ描いてください」と、直接言ってしまう人間もいるらしい。

しかし、作家の個人アカウント、というのは本当に個人アカウントなのである。

多くの個人が大した目的もなく、どうでも良いことをつぶやいたり、飯という名の今から自分が出すウンコの元を他人に晒すというプレスカトロ行為をするためにSNSをやっていることだろう。作家のアカウントも全くそれと同じなのだ。

SNSが貴重な宣伝ツールであることはもう言うまでもないので、作家がSNSに漫画やイラストを載せて宣伝することが当たり前になってはいるが、あれはあくまで自主的にやっていることで、作家の仕事ではない。もちろんギャラもない。

漫画家のアカウントなのだから漫画やイラストを載せなければいけないというわけではないのだ。
警察官だからと言ってSNSに発砲動画を載せなければいけないということはないだろう。それと同じだ。

もちろんサービス精神旺盛な作家や、SNSを重要な宣伝ツールと捉えている作家は積極的に絵を載せるだろうが、だからと言って、そうじゃない作家が怠慢というわけではない。

よって、何かを期待して作家をフォローしても良いが、期待と違っていたからと言って文句を言ってはいけない。そっとフォローを外すだけで良い。

それに、作品は好きだがSNSでの作者の思想がどうにも相いれないということもある。
作者と作品は別と割り切れれば良いが、どちらかというと人は「坊主憎けりゃ寺ごと燃やす」という織田信長思想になりがちなのだ。

作者のつぶやきのせいで作品まで嫌いになるというのはバカらしいことである。
ネットの発達で「作家と直接交流できる」ようになったのは良いことだが、そんな時代だからこそ「あえて作品だけ愛でる」という選択も必要である。

ハクマン

(つづく)
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カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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