ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第3回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第3回
メロスだって、邪知暴虐の王がいなければ走らなかったのだ。

つまり、漫画と小説は別の食べ物であり、どちらも違った魅力がある、どちらが上とか下とかではない。
文章は誰でも書けるというのは、打ち出されるフォントの形が同じというだけであり、その並べ方には当然技量が出る。

しかし「製作時間」については、断然、漫画の方がかかる。
アイディアが出るまでの時間は大差ないかもしれないが、それを文章で打つのと漫画で描くのとではやはり文章の方が速いと思う。

「国会議事堂」

今この単語を私は3秒で打ったが、漫画で描こうと思ったらどれほど時間がかかるだろうか。国会議事堂を描いたことがないのでわからないが、3秒では無理だと思う。
つまりこれからも、国会議事堂が出てくる漫画は描かないようにしたい。

ただ「松葉崩し」などになると、文章でどんな体位か説明するより、絵で描いた方が一目瞭然の上抜ける、という例外もあるが、これも画力がないと、マスゲームみたいになってしまう。

つまり漫画の製作には時間がかかるので、その間に連載の話が流れてしまうこともある、ということだ。
そしてその話が流れる原因というのは「雑誌の体制が変わった」とかどうしようもないものもあるが、特に理由もなくふんわりと流れることもある。

まず「漫画の新連載をはじめよう」となったら、漫画家はネームというこういう話を描きますよという「漫画の素」を出す。
ネームというのは、漫画家によって書き込みが全く違うのだが、これも絵であり漫画である、アイディアを練る期間も含め描くのに結構な時間がかかるのだ。それも連載となれば何話分かは用意しなければならない。

これがOKになれば連載決定となり、本作画に行く、作画にも当然時間はかかるが、連載自体は決定しているし、描くことも決まっているので、手さえ動かせば、いつかは完成する。

しかし、ネームがOKにならないこともある。場合によっては全ボツということさえある。結構な時間がかかる作業を一からやり直しであり、それもまた時間がかかる。

そうやって時間が経てば経つほど、漫画家と編集のテンションがお互い下がってしまったりするのだ。
編集者といえど人間である。

そう言いたいが、あいつらは人間ではない、もっと邪悪な何かだ。
邪悪極まりない何か、なので「うちで連載してください!」と言った気持ちが、漫画家がクソみたいなネームを出して来る、そもそもネームを出して来ねえ、などという些末な理由で、冷めて来てしまったりするのだ。
そんな時に、新しい逸材を見つけたり、他の担当作品が小当たりして来たら、注意は簡単にそっちに行ってしまうだろう。

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カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。