◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第103回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第103回

断章──鴇田 05
二階の自室に入った鴇田。動画に収められたあの時の記憶がよみがえる。

 アンティークの木のデスクに向かって座ると、残りのクッキーを口に放り込んで仕事でも使っているノートパソコンを開いた。引き出しから一テラバイトのポータブルSSDを取り出しUSB端子にセットして、暗号化したフォルダからさらに「moa」と名付けられたフォルダを開く。中には浅見萌愛とのセックス等を撮影した動画ファイルが複数入っている。「moa_final_handy」というファイルを開いた。最後に撮ったこの動画には最低の不快と最高の快とが両方記録されている。何度もくり返し観ているので動画の内容は秒単位で把握している。鴇田は不快な場面を飛ばしてクライマックスの少し前から再生し、パンツからペニスを引っぱり出すと右手でしごいた。

 浅見萌愛とのセックスを鴇田はいつも固定したビデオカメラと手持ちの二台で撮影していたが、この動画は後者だ。揺れる画面に萌愛の顔がアップになっている。鴇田が殴った顔の右頰の痣(あざ)が黄色くなっている。だいぶ手加減はしたが頰骨は折れていただろう。呆(ほう)けたような顔の目から涙の筋が左右に伝っている。苦痛と恐怖はしっかり感じているが抵抗する意志は完全にへし折られている。暴力で女を支配するセックスは快感で支配するセックスよりはるかに劣る。セックスはコミュニケーションだ。自分の欲望を満たそうとするだけでは、真に深い快楽を得ることはできない。抵抗する意志を失い、暴力的に犯されている萌愛を見るのは鴇田にとって最高の快ではありえない。

 画面には映っていない鴇田の息が荒くなり──ほとんどヴァージンに近い萌愛のヴァギナのきつい締めつけそれ自体は他の年代の女からは得られない快であるのは確かだった──獣のような声が聞こえ、画面がブレた。萌愛の膣内(ちつない)に精液を注ぎ込んだのだ。萌愛の顔が痛みとは別の苦痛に歪(ゆが)み、泣き笑いのようになった唇の両端がひくひくわなないている。

 鴇田が萌愛を殺す決意をしたのはその顔を見た瞬間だった。

 左手でカメラを構えたまま伸ばした右手で萌愛の喉をわしづかみにした。萌愛の首は細い。大きな鴇田の手の広げた指はほとんど三分の一くらいを覆う形だ。萌愛の目が大きく見開かれ、口がアルファベットのOになった。鴇田は体重をかけつつ六十五キロの握力を一気に加えた。萌愛の喉からひゅっという音がしてそれきり空気の流れが途絶える。喉仏を圧迫してその下にある気道をふさいだのだ。喉のどこかの軟骨が折れたような感触。

 ぐぐぐっ──と、萌愛の筋肉にそれまでなかった力が生じた。まだ性器はつながったまま鴇田にのしかかられ、首を押さえつけられて目の焦点は合っていなかったが、萌愛は華奢(きゃしゃ)な全身の力を振り絞ってあがいた。動かせるのは両手と両脚だけ。カエルのように開いた両脚をいくら動かしても鴇田は痛くもかゆくもなかったが、生存本能なのか意志なのかあるいはその両方か、彼女の両手は首をつかんだ鴇田の右手の手首や甲をつかみ、爪を喰(く)い込ませてほどこうとした。

 鴇田の手の皮膚がえぐられ血が出たが、アドレナリンのせいか痛みはまったく感じなかった。さらに力を加えるため、カメラを右手に持ち替え、利き手の左手で萌愛の首をつかんだ。筋肉量も筋力も圧倒的な差がある中、少女の生命が懸命に爆発させる力と動きに興奮し──釣り上げた瞬間、つかんだ魚が手の中でびくびくと跳ねる力が強ければ強いほど快が増すあの感覚──さっきまでよりさらにきつく痛いほどに締まる萌愛のヴァギナの括約筋に対抗するように精液にまみれたペニスがふたたび力を取り戻し屹立(きつりつ)しどこまでも固く怒張するのを感じた。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

◇自著を語る◇ 榎本憲男『DASPA 吉良大介』
◇自著を語る◇ 山本甲士『つめ』