◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第104回

セックスは食事のようなもの──。鴇田は常に新しい出会いを求めていた。
鴇田が初めてセックスしたのは小学五年生のときだった。相手は三十代の人妻。鴇田をモデルにしたマダムの作品シリーズのコレクターで、当時マダムが開いていた絵画教室にも生徒として東京から通ってきていた。鴇田はその絵画教室で初めてマダム以外の女たち──生徒はみな女性だった──の前でヌードモデルを務めた。すでに鴇田の身長は百七十センチ近くあり、サーフィンとフットサルの効果で筋肉も発達していた。自分の裸体に寄せられる女たちの上気した顔と潤んだようなまなざしにマダムにはない熱を感じていたが、夏休み、鴇田家で開かれたホームパーティに出席した人妻に誘われて庭で童貞を奪われたとき、少年だった鴇田はその意味をペニスで理解した。同級生にはセックスに興味津々の者も少なからずいたが、鴇田はさほど関心がなかった。幼い頃から母親の一糸まとわぬ姿を見せられ続けていたからかもしれない。しかしセックスを謳歌(おうか)する準備は心身共に整っていたのだ。
その日以降、鴇田が絵画教室でヌードモデルを務めることはなくなった。女たちの視線を浴びるとペニスがむくむくと反応し、意志の力では抑えることができなくなったからだ。だが、最初の人妻だけでなく他の生徒たちともセックスするようになった。二十代から四十代の彼女らは紳士協定ならぬ淑女協定を結び、協力し合って鴇田とセックスする機会を作りローテーションを組んだ。五人の女たちを相手に、鴇田は覚えたばかりの快楽を夢中で貪った。彼女らはまごうかたなきペドフィリアだったが、そのおかげで鴇田は早々に自分の男としての性的魅力を確信し、以降女に不自由することはなかった。
二十代初めに千人を超えてからは数えていない。鴇田にとって女たちとのセックスは食事のようなものだった。特別ではないが生きるのに欠かせぬものであり、たんに欲を満たすためだけに行うこともあれば、純度の高い快楽を追求するために精神と五感をフル稼働させて集中し、あらゆる細部に至るまで徹底的に味わい尽くそうとすることもある。
もう一つ共通点がある。どんなに素晴らしいご馳走(ちそう)でも毎日食べ続ければ飽きるのと同様、鴇田は一人の女と長く性的関係を続けることができない性分だった。最長は八ヵ月。二十代の頃一度した結婚相手だ。周囲の同世代の友人たちが次々結婚したので試してみたが、やはり無理だった。相手は当時鴇田より稼ぎのあった年上のファッション誌の編集者で、プライドも高くやはり男には不自由しないタイプだったので、慰謝料などを含めて一切もめることはなかった。今でも友人関係は続いており、再婚相手と娘を連れてこの家に遊びに来たことも何度かある(そのうち一度は夫と娘のいる寝室をこっそり抜け出してきた彼女に求められセックスした)。
常に新しい出会いを求めて、鴇田は交友関係を広げるだけでなく複数のマッチングアプリとSNSアカウントを登録していた。
浅見萌愛と知り合ったのはその一つ、インスタブックというSNSを通じてだ。ここで鴇田はセックス専用の「トキオ」というアカウントを運用している。
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