◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第107回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第107回

断章──鴇田 09
車内のベッドの上で萌愛にキスをした鴇田は言う。「服、脱ごっか」

 後部のベッドへ移ると、鴇田は、向き合って座る萌愛にそっと手を伸ばし、髪の毛に触れた。癖のない髪は細く柔らかく適度なボリュームがあり──貧困層には珍しいことに──上質のシルクのような滑らかさを持っていた。

 彼女は緊張した様子で、鴇田の目を上目がちに見つめていた。

「きれいな髪だね」

 すると彼女ははにかむような表情になった。

「あ~もちゃん、だよね? 学校、地元だろ。公立」髪に触れたまま言う。

「……はい」

「制服ダサいからすぐわかった」

 彼女は一瞬目を見開いて、笑った。半分は自分を安心させるためだろう。そう水を向けたのだ。

「ジモ中、周りみんなブスばっかじゃない?」

「え……」困惑している。「そうかな」

「そうだよ。制服見りゃわかるって。あ~もちゃん、モテそうじゃん、めちゃめちゃ」

 目鼻立ちの整った美人ではない。まぶたは一重で鼻は低い。口は大きすぎるし唇は厚ぼったい。だが全体として顔の造作は柔らかに調和しており、華奢だがしなやかに充実した肉づきの肉体とも一体となって、全身から猫科の動物のような愛くるしいオーラが放たれていた。

「……そう、ですか?」頰が赤らんだ。

「コナかけてくるやついないの?」

「うち、地味だから……」

「ジモ中、野郎もセンスのないガキばっかだな。ダサ制服着てないときは、お母さんに買ってもらった服着てんじゃねーの」

 彼女がまた笑顔になった。

「こんなにかわいいのに」鴇田は彼女の頭の上に手を置いた。

 萌愛はとまどう顔になった。

 女にはさまざまな魅力がある。容姿に恵まれ、愛情も金も何不自由なく育ち、健全な自己肯定感を備えた女の幸福な輝きは誰の目にもわかりやすい。萌愛はそうした女たちとは対極にある。貧しく、おそらく成熟した両親からの十分な愛情や保護を受けることなく育ち、ありのままの自己を承認される経験にも乏しく、自尊心を持つどころか確固たる自我すら獲得していない。だが日陰でひっそりと咲く名もなき花にも魅力はある。自分の価値に目覚めていない穢(けが)れのなさもその一つだろう。

 男女の性的成熟の不均衡により、多くの女が男より早くに自らの性的価値に気づいて相手を値踏みするようになる。一度失われた穢れなさは二度と戻ることはない。萌愛もやがてはそうなるだろう。少女性愛者は、自我の確立した大人の女と向き合うのが怖いから未成熟な少女を性愛の対象にする、という説には一理ありそうだ。しかし、中学生にもなれば男より分別がつくのが女という生き物だ。萌愛の穢れのなさは薄幸が温床となって保たれた。彼女は全身に不幸のオーラをまとっているのだ。同時に、萌愛の自我よりも深い場所に、ワイルドガーデンのように野趣あふれる生命体の存在を鴇田は感じた。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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◎編集者コラム◎ 『ロボット・イン・ザ・ファミリー』著/デボラ・インストール 訳/松原葉子