◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第114回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第114回
断章──鴇田 16
鴇田の狙いとは裏腹な萌愛の対応。それは彼にとってかつてない屈辱だった。

「雇い主は俺だ。インスタブックだとセックスかサーフィンしかしてないみたいに見えるだろうが、俺はビジネスも持ってる」

「お母さんが、トキオさんの……?」うつむいて考える。強く首を振った。

「何でだ? お前とセックスしたことがバラされるとでも?」

 萌愛は固く唇を引き結んだ。鴇田を信用できなくなったのだろう。度し難い愚かさだ。

「あとで落ち着いて考えてみろ。とりあえず今はこっちに集中しようか」鴇田はさっきから引っ張り出したままのペニスを指さした。

 セックスに持ち込めば、今度はまず体を開かせることで心も開かせることができる。鴇田はそう見込んでいた。信頼を礎にした快楽がその鍵だ。

 だが萌愛がこの前のように心を開くことはなかった。彼女は鴇田の命令に従い鴇田にされるままになったが、鴇田が開発した性感帯を刺激してもエクスタシーに達することはなかった。

 トラウマを明かす前のように肉体の感覚を心から遮断しているように見えた。だがこの前とは違い、意識してそうなったように感じられた。さながら体温を持ったラブドールだ。射精の用には足りたが、鴇田が求めていたものにははるかに及ばなかった。最低限の性欲を満たすと車を出し、待ち合わせ場所の公園へ向かった。

「ママの仕事の話、マジだからな。考えておけ。悪いようにはしない」萌愛を降ろす前にそれだけ言った。

 噓ではなかった。鴇田は現在個人でガーデナーの仕事をしており、金銭的にも余裕がある。フルタイムの仕事でひと月の給与が額面二十万というのは少ないと思うが、萌愛の母親の今の待遇よりははるかにいい。権力者層がデフレを維持しているのは、安くこき使える貧困層を確保しておくためだ。

 経済的困窮につけ込んで萌愛の母親を支配すれば、萌愛も支配下に置くことができる。萌愛の母親がよほど醜い女でなければ、そのために再婚するのも選択肢の一つだ。結婚相談所に勤める女から、娘を目的にシングルマザーとの結婚を希望するペドファイルは少なくないと聞いたことがある。吐き気がするような話だが理にはかなっている。

 萌愛との温度差には裏切られた思いだったが、彼女に対する鴇田の執着は衰えなかった。母親の仕事の件についてLINEで訊ねると、『いいです』と返事があった。断るという方の意味だ。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

◎編集者コラム◎ 『ザ・プラスワン マリハラがつらくて、カレを自作してみた。』著/サラ・アーチャー 訳/池本尚美
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