◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第115回

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断章──鴇田 17
「もう会いません」という萌愛に、鴇田は「二万円を支払う」と返信し……。

 
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 鴇田がLINEで会おうと連絡すると、既読がついてからいつもより長い時間が経(た)って萌愛から返答があった。

『いやです。お金くれないなら、もう会いません。友達にも相談しました。あんまりしつこいと、警察に行きます。淫行って、犯罪ですよね?』

 怒りで目の前が暗くなった。萌愛は、鴇田に対して与えた屈辱の最大値を更新したのだ。これまで女に対して抱いたことのない情動がマグマのように煮え立った。

 脅しかそうでないかはさておき、萌愛が警察に鴇田を淫行で訴えてもどうということはない。鴇田の真意をついに理解できなかった愚鈍さ、鴇田の期待と厚意を裏切った酷薄さ、開き直った低俗さ。どんなに長生きしてもしっかりした自我を確立できない、動物じみた最下層の人間の身の程知らずの振る舞い自体が許しがたい大罪なのだ。

 それでも、もう一度だけチャンスを与えてやるという自らの決断は尊重することにした。

『残念だ。俺は君との関係を年の差を超えた純愛だと信じていた。裏切られた気分だよ。君のお母さんに仕事をあげると言ったのも、本心から君を愛しているからだ。最初はサポしたいと言ってきた君の要求を聞き入れなかったのも、心から愛する君を今の苦境から救い出し人生を変えてあげたかったから。君が十六歳になったら責任を取って結婚し、一生大切にするつもりでいた。てっきり君も同じ気持ちだとばかり思っていた。でも、どうやら俺の勘違いだったみたいだね。まさか君がそこまで思い詰めているとは思いもよらなかった。すまなかった。君がそこまで言うなら、二万円を支払う。でもそれはサポのお金じゃない。君との関係を誤解して、君を傷つけたかもしれないことへの謝罪金だ。それでよければ用意します』

 そう返信した。

 これまでとはまったく異なる文体とノリ。萌愛は面食らうはずだ。不気味と感じるかもしれない。だが最後には──友達に相談しているならなおのこと──警察を持ち出したことで鴇田がビビッたと結論づけるに違いない。そうなれば金を払うという鴇田の言葉を信じ、ひとまず警察への通報を控えて鴇田に会おうとするはずだ。

 案の定、前よりずっと短いタイムラグで鴇田の要求に応じる旨の返信が来た。今夜会えるという。萌愛との関係に今日中に決着をつける。出口は二つ。萌愛が鴇田にふたたび心と体を開き鴇田の庇護を受け入れるか、これまでのように拒むか。後者なら金輪際関係を絶つ。その場合には、LINEに記したように二万円を支払う。サポの代金ではなく、手切れ金としてだ。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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