◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第116回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第116回
断章──鴇田 18
萌愛の拒絶反応が信じられない──。そのとき鴇田の中で何かが砕けた。

「漂白」目次


「大丈夫」

「え。だって……」

「妊娠したら産んでいい」

「──え」萌愛の顔が固まった。信じられないという目で鴇田を凝視した。

「マジで言ってる。お前と母親と生まれた子の生活の面倒をみてやる。萌愛が十六歳になったら結婚してもいい」

 萌愛が顔を歪ませた。鼻のつけ根に醜い皺が浮かび、上唇の裏側が下品にめくれた。

「やだ。無理──何言ってるかわかんない。てかキモい。避妊して。じゃなきゃしない」

 鴇田は信じられない思いで萌愛を見た。萌愛の反応は、どこにでもいる女がどこにでもいる男に対して見せる嫌悪であり侮蔑であり拒絶であった。鴇田がこれまで女たちから向けられた経験のないものだ。鴇田の中で何かが砕けた。

「──そうか」萌愛の上に覆いかぶさっていた上半身を起こし、大きく息を吸って、吐いた。「わかった。もういいよ」

 萌愛が体を起こした。向き合って座る形になったところで、鴇田は彼女の顔を左手でパンチした。「へあっ」というような声を出して萌愛がのけぞり、運転席の背部に背中を打ちつけた。

「いったあ──」右手で頰を押さえ、驚きと怯(おび)えと怒りの混じった視線を鴇田へ向ける。

 だいぶ手加減をしたつもりだったが、怒りは抑えきれなかった。頰骨は折れたかもしれない。

「残念だが期待外れだった」鴇田は言った。「お前は底辺に生まれ底辺のまま、真の人間らしさを知らぬまま死んでいくよう運命づけられた動物だ。俺にとって性処理玩具──肉でできたオナホール以上の存在ではあり得ない。そういうことでいいんだな?」

 萌愛の目が鴇田のあちこちを泳いだ。彼女を支配したのは怯えだった。衝撃は去らず、現状を把握できずにいる。

「俺のものになるつもりはない。そうだな?」

 萌愛は身を縮こまらせ、首を振った。

「どっちだ?」

「……な、なります」

「俺の精子が欲しいか? 膣の中にたっぷり出してほしいか?」

 萌愛の目に涙が滲(にじ)んだ。泣き笑いのような表情でうなずいた。

「寝ろ。股を開け」

 萌愛は言われたとおりにした。鴇田のペニスはいきり立っていた。本意ではなかったが、萌愛を暴力で屈従させることに快感が皆無かと言えばそんなことはなかった。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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