◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第124回

警察は重要な物証を握っていない。志鶴の主張は田口と真っ向から対立する。
都築の声が、法廷で弁論するときのように熱を帯びてきた。志鶴の胸の鼓動が高まる。
田口は一瞬気圧(けお)されたようだったが、すぐに無表情の仮面をつけ直した。「ではなぜ犯行現場に、増山氏の吸い殻が?」
「そこだ」都築は二つ目の菓子を頰張り、ぽりぽり咀嚼(そしゃく)しながら考えた。「ずっとそこが引っかかっていたんだが、一番しっくりくる考えは、真犯人が偽装工作のため、何らかの方法で手に入れた増山さんの吸い殻を現場に残した、というものだな」
「馬鹿な」田口が珍しく大きな声を出す。「TVドラマじゃあるまいし、まさかそんな話が」
「君はどう思う、川村先生?」都築が志鶴に訊(たず)ねた。
「はい──」都築が打ち出した仮説こそ、志鶴が飛びつきたい推論だった。だからこそ慎重に言葉を選ぶ。「私も、その可能性が高いと思っています」
「あきれたな」田口が眉をひそめる。「依頼人と一体化すると、そこまで都合よく現実を歪(ゆが)められるのか」
都築も志鶴に注目している。
「違います。この案件、増山さんを被疑者として逮捕・起訴したのは、そもそも警察や検察にとって無理筋だった──私はそう考えています」
「無理筋?」
「はい。証明予定事実記載書を見て、その確信を強めました」
「どういう意味だ?」
「田口先生は以前、検察は浅見萌愛の事件についてもクリティカルな物証を握っているかもしれないと懸念されていましたが、とんでもない。貧弱っていうのかな。薄っぺらいんですよ、検察官請求証拠が。普通の殺人事件ならもっとたくさん物証がある。最たるものは凶器です。一件目、浅見萌愛の事件は扼殺。でも、綿貫絵里香は『何らかの凶器で刺し殺され』たと報道されています。増山さんも取調官に、綿貫絵里香を刃物で刺し殺したと供述するよう強要された。ところがその肝心の刃物、凶器が物証として請求されていない。なぜか? 発見されていないからに決まってます。現場付近の大規模な捜索によっても、増山さんの家宅捜索によっても」
「浅見萌愛の衣服もだ」都築が指を立てた。
「そう、それもあります。浅見萌愛は、衣服をつけない状態で発見された。現場まで全裸で歩いて行ったはずがありません。殺害される直前まで、服を着ていたはず。でも検察官は、彼女が着用していたはずの衣服を物証として請求していない。なぜか? 綿貫絵里香殺害の凶器と同じように発見できていないからです――現場付近でも、増山さんの家でも。それだけじゃありません。犯罪の重要な証拠となるはずのスマホ本体も」
「増山氏が、それ以外の場所で処理した――」田口が言う。「検察はそう考えているのかもしれない。事実、その可能性はある」
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