◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第127回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第127回
第七章──焦点 06
証拠開示請求からひと月あまり。志鶴は雨宮ロラン翔子と対峙していた。

「漂白」目次


「あと気になるのは目撃証言だな」都築が言った。「検察は、増山さんの目撃証言を請求したが、あれだけの大きな事件で大量の捜査員を投入したんだから、事件直後には大量の目撃証言があったはずだ。決め手にならず、増山さんに的を絞った時点ですべて消極証拠として捨て去った。が、中には真犯人の目撃証言があったかもしれない」

「同意見です」キーボードに打ち込む──目撃者について、供述録取書等(5号)、その供述・指示説明の記載のある再現見分調書等(3号)、供述を記載した捜査報告書等(6号)。

「あとは何だ?」都築が言った。「携帯電話の通話履歴か」

「それと、LINEとインスタブックの履歴も。今どきの女子中学生ならアカウントを持っている可能性が高いですし、警察も当然捜査しているはずです」

 浅見萌愛はどちらもやっていた。だが、警察がLINE履歴を調べていたら、トキオの存在を感知していたはずだという疑問も拭えない。綿貫絵里香とトキオの間に同様の接点があったかどうかはわからない。が、LINEの履歴は、真犯人を示す決定的な証拠になりうる――少なくとも浅見萌愛に関しては。

「それがあったな」都築がうなずいた。「まずはそんなところか」

 エクスターンをしていた頃、都築が志鶴に言った。公判前整理手続での類型証拠開示請求は目隠しビュッフェのようなものだが、依頼人の防御のため全力を尽くし神経を研ぎ澄ませれば、圧倒的に不利な状況からも本当に必要なご馳走──敵をあっと言わせる強力な武器──を引き当てることも可能だ、と。

 いまだ拘置所に身柄を拘束され、唯一の肉親である母親との面会も禁じられている増山の顔を思い浮かべ、志鶴は猛然とキーボードを叩(たた)いた。

 
     2

「主文――」

 静まり返った東京家庭裁判所の法廷に、裁判長の声が響く。

「一.甲事件原告・乙事件被告と甲事件被告・乙事件原告とを離婚する──」

 志鶴は、当事者席の反対側、正面に座る天宮(あまみや)ロラン翔子(しょうこ)を見た。ハイブランドで身を固めた彼女が、余裕のある表情でこちらを見返す。

「二.甲事件原告のその余の請求を棄却する──」

 裁判長の言葉で、天宮の美貌がさっとこわばり、その目が突き刺すように法壇に向いた。

 志鶴の隣で、依頼人男性が裁判長と志鶴とを不安そうに見比べた。志鶴は彼に、安心させるよう、うなずきかける。

「三.乙事件原告のその余の請求を棄却する──」裁判長が続けた。

 天宮がまたこちらを見、勝ち誇ったようにつんと顎を上げた。

「四.訴訟費用は、甲事件原告・乙事件被告に生じた費用は同人の、甲事件被告・乙事件原告に生じた費用は同人の負担とする。以下、事実及び事由については、判決文を参照のこと。以上」

 裁判長は立ち上がり、さっさと控室に向かい、ドアの向こうへ消えた。

「ちょっと……えっ、どういうこと?」天宮の隣の女性が、動揺して声をあげる。「これってつまり──負けたってこと? そうですか、天宮先生?」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

杉田陽平さん インタビュー連載「私の本」vol.14 第1回
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