◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第132回

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第7章──焦点 11
公判前整理手続期日。起訴を取り下げるべきだ──都築の声が法廷に響く。

「漂白」目次


 
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 八月六日。

 東京地裁の法廷に、裁判長を始めとする三人の裁判官と書記官、三人の公判担当検事、志鶴、都築賢造、田口司の三人の弁護団の他、被告人である増山淳彦本人も初めて出頭していた。

 公判前整理手続期日には被告人も出頭することができる。志鶴は増山の意思を確認したうえ、最初の出頭では人定質問と黙秘権告知がなされることをあらかじめ伝えてあった。増山は不安そうな顔をしたが、取調べのようなことは行われず、基本的に裁判官、検察官とのやり取りは弁護人である自分たちが行うと告げると表情が和らいだ。何より増山を安心させたのは、公判を担当する三人が捜査段階で取り調べた岩切とは異なる検察官であるという事実だった。

 被告人が出頭する場合、会議室ではなく法廷で期日が持たれる。拘置所から護送されてきた増山は手錠腰縄を打たれ、二人の刑務官に挟まれて志鶴たちと同じ弁護側の席に並んだ。

「では、公判前整理手続期日を始めます」法壇上で裁判長の能城武満(のしろたけみつ)が告げた。

 総白髪で、猛禽類(もうきんるい)のくちばしを思わせる鼻にかかった小さな眼鏡の奥の瞳が志鶴たちを冷厳に見下ろしている。

「弁護人、検察官請求証拠について証拠意見を述べるように」

 都築が立ち上がった。

 増山の弁護方針、公判での主張について、三人の弁護団の間で意見は二つに割れた。あくまで否認して無罪を争うとする志鶴、都築の二人と、罪を認めて情状を訴え刑罰を軽くする認定落ちを狙うべきだとする田口とに。

 三人で増山に接見してどちらを選ぶか訊ねたところ、増山は志鶴と都築の提案を選んだ。志鶴にすれば至極当然のことだが、田口は納得したようには見えなかった。それでも約束どおり、無罪主張する方針で行くことにはもう反対しなかった。

 立ち上がった都築の目は正面に向かい合って座る三人の検察官に向けられていた。検察官たちも都築を見返した。がらんとした法廷に緊張感が満ちていく。

「裁判長が今言ったように――」都築が切り出した。「刑訴法316条の16第1項によれば、証明予定事実記載書面が出され、かつ検察官請求証拠及び類型証拠が開示されたあと、被告人又は弁護人は検察官請求証拠について意見を明らかにする義務がある。だがそもそも刑事訴訟法の根本的な目的とは何だろう? 国家機関による刑事手続の進行を厳格に規律し、個人の基本的人権の侵害を防ぐことだ。その本質に立ち返って検察官に申し入れる――今からでも遅くない、増山さんに対する起訴を取り下げるべきだ」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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