◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第133回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第133回
第7章──焦点 12
日本の刑事裁判は中世の魔女裁判と変わらない! 都築の怒りは収まらない。

「漂白」目次


 都築は書記官に目を向けた。「記録してるか?」

「え……」いきなり水を向けられた男性書記官は動揺した。

「これまでのやり取り、すべてちゃんと記録してるか訊いている」

「は――はいっ」書記官が気圧されたように答えた。

 都築がまた検察官の方を向く。その全身から怒りが炎となってゆらめき立っているのが志鶴には見えるような気がした。都築はゆっくりと息を吐いた。

「証拠意見を述べてやる。まず第一の事件。①浅見萌愛さんの死体の見分調書等について――これを証拠とすることに異議を述べる。裁判所に証拠請求の却下を求める」

「その根拠は?」能城が言った。

「自然的関連性――証明しようとする事実の存否を推認させる最小限度の証明力を欠いており、証拠として参加する資格を持たない」

「どの点についてそう判断する?」

「検察官は、被害者の遺体の扼殺の圧迫痕から増山さんの犯人性を立証するとしているが、その根拠として両手の圧迫痕のうち左手の方が強く圧迫されているので犯人は左利きと推測されるとし、同じく左利きである増山さんの犯人性を示そうとしている。それを補助する証拠、たとえば指掌紋は存在しない。左利きの人は世界中で約十パーセント存在すると言われている。十人に一人だぞ。それで同一性が証明されるなら星座占いはもっと科学的に正確で、星座によって犯人性を認めることも許されてしまう理屈だ。こんなもんが証拠になるなら、日本の刑事裁判は中世の魔女裁判と変わらない!」

「検察官の意見は?」

「お答えします」世良が言った。「証明予定事実記載書にも記載したとおり、一件目の事件については直接証拠立証型ではなく間接証拠立証型の証拠構造により有罪を立証しようとしています。犯人が左利きであり、被告人も左利きであるという事実は直接的に犯人性を立証するものではなく、犯人と被告人との特徴が合致することを証明するものです」

「それでもだ」都築が応じた。「犯人が左利きであり、増山さんもそうだという事実は間接証拠としても、間接事実に対して厳格な証明を満たす証拠としての力を到底持ち得ない。われわれ刑事弁護人の間で、裁判官が情況証拠について判断する際のバイブルとして知られている『情況証拠の観点から見た事実認定』によれば、間接証拠つまり情況証拠の類型は、並存的事実、予見的事実、遡及的事実の三つとなっている――」

『情況証拠の観点から見た事実認定』は司法研修所によって編集された本で、司法修習でもテキストとして用いられている。弁護士となってからも裁判官が事実認定する際の思考プロセスをシミュレートする重要な資料として志鶴も頻繁に参照していた。

「利き手に関する事実は予見的事実にも遡及的事実にも含まれない。では並存的事実か? いや違う。並存的事実には『犯人が現場に残した肉体の痕跡等』も含まれるが、それは指紋・掌紋・足跡・歯形・陰毛――といった、鑑定結果の出現率が低く個人を同定する力の強いものだけだ。この事件で、左利きという事実は情況証拠として参加する資格を持たない」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第132回
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第134回