◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第135回

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第7章──焦点 14
取調べ録画映像の証拠調べだけは阻止したい──都築は事前にそう語っていた。

「漂白」目次


「はい。弁護人は今、問題となった証拠に違法収集証拠排除法則を適用しようとしていますが、まさしく弁護人が示したように、憲法及び刑訴法は特別に規定を設けて自白の証拠能力に厳しい規制――自白法則――を設定していることを考えると、自白の証拠能力はその範囲で否定するのが法の趣旨であると解するのが自然であって、それを超えて違法収集証拠排除法則を自白にも適用しその証拠能力を否定できるというのは根拠として不十分であると考えます。したがって、供述調書及び取調べ録画映像記録を違法取集証拠として排除するのは適当ではないと考えます。もし証拠能力について争うのであれば、自白の任意性を争点とすべきでしょう」

 自白の証拠能力を否定する「自白法則」の根拠としては従来から虚偽排除説、人権擁護説、違法排除説の三つの説が主張され、対立してきた。都築が主張したのは違法排除説だが、実際の裁判では世良が提示したように、虚偽排除説と人権擁護説を折衷した任意性説が根拠となることも多い。自白そのものを排除するのではなく、その自白が脅迫や強制によるものであれば任意性が否定されて証拠能力を失うという主張だ。逆に検察側が、そのような脅迫や強制はなかったと立証すれば証拠能力を認められる。

「証拠の内容に立ち入るわけではないが――」能城が引き取った。「当裁判所も自白に違法収集証拠排除法則を適用するのは適当でないとする立場であり、排除法則による証拠禁止は認めがたい。よって、裁判所は検察官による証拠請求の却下はしない」

「裁判所っていうかあんた個人の立場だろう。一人称の使い方からして卑怯(ひきょう)なんだよあんたらは。では供述調書については不同意とする。だが、取調べ録画映像記録についてはあくまで請求の却下を求める」

 

「増山さんの自白部分が映っている取調べ録画映像媒体の証拠調べだけは、公判前整理手続の段階で何としても阻止しておきたい」打合せの席で都築はそう語った。

 志鶴と三浦は互いに顔を見合わせ、深くうなずいた。 

 二人ともすでに検察側が証拠請求した増山の取調べ録画映像を視聴していた。数多くの冤罪を生んだ捜査機関による密室での被疑者・被告人への人権無視の取調べは、その過程が録音・録画されるようになれば改善されると信じていた弁護士は多かった。が、いざ導入されると新たな問題が生まれた。録音・録画記録媒体が実質的に証拠として法廷に出され、裁判官や裁判員がそこでの被疑者・被告人の供述の内容がたとえ強制されたものであっても事実と判断し、有罪心証を形成しやすくなることがあるのだ。

 栃木小一女児殺害事件、通称「今市事件」では、別件逮捕され取調べで犯行を自供した被告人は公判では否認に転じ、自白は取調官に強要されたものだと主張したが有罪判決を下された。判決後の会見で裁判員は口々に「取調べ映像で有罪を判断した」と語った。この一審では被告人が犯行を自白する部分を含め約七時間もの取調べ録画映像が証拠として採用され、他に有力な物証が存在しなかったにもかかわらず、それが被告人の自白の任意性を裁判員らに信じさせ、有罪認定させる決定的な証拠となったのだ。弁護団は控訴したが控訴審でも有罪判決を覆すことはできなかった。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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