◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第139回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第139回
第8章──追跡 03
タクシー運転手には、警察の事情聴取で話していないことがあった──。

 志鶴の視線に気づいて沼田が口をつぐむ。

「何だ──どうかしたか? 急におっかない顔して」

 三浦も志鶴を見ている。

「いえ。他に──何か覚えていることは?」

「んー」また麦茶を飲んだ。「まあ、そんなとこだ。悪いな、大した話じゃなくて。俺の方は、警察に言えなかったこと話してすっきりしたけど」

「そんなことないです、とても参考になりました。沼田さん──今のお話、こちらで書類にまとめて、裁判で証拠として出してもかまいませんか?」

「えっ、証拠になんの、こんな話」

「まだわかりません。証拠として使うかどうか決めるのは、弁護士じゃなく裁判官です。でも私は──増山さんの弁護を担当する弁護士として、今のお話、裁判で証拠として出したいと思っています。場合によっては、法廷で証言していただくようお願いするかもしれません」

「……なるほどねえ」沼田は腕組みして志鶴を見た。「ちょっとヤニ切れだ。つき合ってくんねえか?」

 煙草とライターと携帯灰皿を持った沼田が立ち上がり玄関へ向かう。志鶴と三浦も荷物を手に立ち上がった。沼田の家は通りに面しており、公園は家の裏手に位置していた。玄関前の道をもう一軒分右へ進んでぶつかる道路を右へ曲がるとその右手に公園の入り口があった。間口十メートル、奥行きはそれより少し長いくらいか。二人がけの木製のベンチが二脚、一人がけの陶器の椅子が四脚、円筒形のトイレ、あとは灌木(かんぼく)や花壇があるだけで、今は他に人の姿はない。

「あの日俺はここに座ってた」

 沼田は自分が入った入り口に近い方の木製ベンチに腰を下ろすと、紙パックから煙草を抜き出してくわえた。沼田の家がある側のフェンスを背にしたベンチだ。じりじりと炙(あぶ)るような陽射(ひざ)しが照りつけているが、沼田に気にする様子はない。クーラーの効いた室内から炎天下へ出てきた志鶴はスーツの下で汗が噴き出すのを感じた。

「ネオエースはそこ」

 沼田とは遠い方の入り口を指で示した。花壇に挟まれた入り口にはコの字型の車止めが二つ並んでいるだけだ。公園の前に停めた車のナンバーは沼田の位置から読めただろう。沼田はライターで煙草に火をつけた。

「さっきの話──いいよ、俺はべつに」ベンチの前に立ったままの志鶴に言う。「生まれ育った土地であんな事件起こしたやつは死刑でも何でも罰が下りゃいいと思ってるし、増山が犯人かもしれねえとも思ってる。けどまあ、警察ってのもたいがいだからな」

 笑みと共に紫煙を漏らした。

(つづく)
連載第140回

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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