◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第14回

警察での取調べで、増山淳彦が「自白」に至った経緯とは──?
彼は、背後のドアの方をちらっと振り向いてから、まぶたを閉じた。話したくないようだ。被疑事実の認否については必ず聞いておく必要がある。そのためになるべく抵抗が少なそうなところから話を運ぼうとしたが、らちが明かないかもしれない。
「俺が、やったんじゃないか、って……」
「……何をですか」
「し、死体、死体捨てただろうって」早口になった。
「……それで、増山さんは、何て?」
彼は、目を閉じたまま、息を吸った。それから、やはり目を閉じたまま、息を吐いた。そしてまた、息を吸った。
「……やってません、って」
疑問が口をついて出そうになる。が、こらえた。
「『やってません』……増山さんはそう答えたんですね。そしたら警察の人は、何て言ったんですか」
紅潮した増山の額に汗の粒が浮かんでいる。まぶたを開いた。志鶴と視線を合わせず、どこか上の方を見ている。充血した目が潤んでいる。
「……やっただろ、って。何度も何度もしつこく」顔をゆがめて大きく息を吸った。いったん斜め後ろ、留置官が背後に控えているドアに目を向け、顔を戻した。「昨日は、そんなに怖くなくて、結構優しく訊いてくれたんだけど、今日になったら……」
言葉を切り、呼吸をした。
「『やったんだろ! お前がやったんだろ! お前が本当のこと言わなきゃ、死んだ子も成仏できないよ、お前はこの子に申し訳ないと思わないのか!』って、写真を見せられて……」
片手で額を押さえた。片方の鼻の穴から鼻水が垂れた。ぐすっという音をたて、洟(はな)をすすった。涙がにじんでいる。
「一日中、何度も何度もおんなじこと訊かれて、怒鳴られて……」
ぐう、という声と共に、嗚咽を漏らした。口の端からよだれが垂れる。
過去、長時間の取調べが問題となり、最近では一日に被疑者の取調べをできる時間は八時間までと制限されている。警察は昨日、初回ということもあり、増山の様子を見ながら時間をかけて事情聴取したのだろう。そのうえで、今日は最初から一気に圧迫を強めたのだ。そして──彼らのやり方は、彼らの目的達成に功を奏した。
「ちょっと待ってください。一つ確認していいですか。昨日の取調べが終わったあと、増山さんはご自宅に帰してもらえましたか?」
警察は、逮捕状が発される前の取調べで参考人の身柄を強制的に拘束することはできない。任意の事情聴取なら、被疑者にはいつでも自由に帰る権利が保証されているということだが、警察としてみれば、犯人ではないかと疑いをかけている相手に自由にされるのは不都合だ。逃亡される危険があるのはもちろんだが、もう一つ大事なことがある。
警察は、被疑者を世間から隔絶し、自らの管理下に置いた方が自白が取りやすいのだ。任意の事情聴取と言いながら、被疑者を家に帰さず、捜査員たちの監視下でビジネスホテルに宿泊させ、連日取調べを続けたということも過去には起きている。事実上の身体拘束と言っていいだろう。
増山は、志鶴の質問の意図を図りかねたのかしばらく考えるような間があったが、「帰った」と答えた。
「けど大変だった。……夕刊の配達は代わってもらって、店長かんかんだし、生活のリズム狂ってんのに翌朝も配達して。そんでまた今朝で」
まだ志鶴とまともに目を合わせていないが、不満が舌の滑りをよくしているようだ。核心に触れる部分ではないことも大きいかもしれない。
「大変でしたね」志鶴は彼の言葉を肯定する。「取調べで、警察の人は、黙秘権について増山さんにきちんと説明してくれましたか?」
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