◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第141回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第141回
第8章──追跡 05
ねばり強い追跡で収穫を得た志鶴。そして都築にも大きな収穫が……。

「漂白」目次


 

「暑い中、二人にはよく頑張ってもらった。今日は存分にやってくれ」都築はジョッキを掲げた。

 志鶴と三浦もジョッキを合わせる。

「くぅ~~」きんきんに冷えた生ビールが喉から胃へ染みわたる。

 ミディアムレアの熟成肉をナイフで切って嚙(か)み締めると口の中で肉汁と幸福感が溢(あふ)れた。ニューヨークに本店を持つステーキハウス。平野の聴取を終えたことを報告すると、都築が夕食に誘ってくれた。

「平野君恵(きみえ)さんだっけ? 彼女は綿貫絵里香さんが拉致される瞬間はやはり見てなかったのか」都築が訊(たず)ねた。

「ええ」志鶴は答える。「夕食の支度をしていたら、外からガシャンという音が聞こえたような気がした。娘が自転車で出かけていたので心配になり、コンロの火を消してから玄関へ出てドアを開けた。すると、目の前の道路に白い大きな車が停まっているのが見えた。自分から見えない側のスライドドアを閉めたらしき長身の男性が急いで運転席側に回り込んで車に乗り、叩(たた)きつけるようにドアを閉めてすぐ車を発進させた──と」

「供述調書の内容どおりか。だが貴重な目撃者には違いない」都築は髭(ひげ)についた泡を手で拭った。「こっちも収穫があった。専門家二人に鑑定を引き受けてもらうことができた」

 検察側が請求する科学的証拠の証明力を突き崩し、弁護側で請求する証拠の証明力を裏づけるため、志鶴たちは今回二人の専門家に意見を求めた。

 一人は法医学者。浅見萌愛の首に残る圧迫痕から増山の犯人性を証明しようとする主張に対抗し、綿貫絵里香の膣内残留物のDNAから増山の他に真犯人が存在することを主張する。もう一人は供述心理学者。増山の自白が取調官の強制によるもので、任意性がなかったという主張を補強する。

 どちらも大学教授である二人はその道のエキスパートであり、弁護側証人として法廷に立った経験も少なくない。そのうちの何回かは都築からの依頼によるものだった。

 裁判所を通じた鑑定も可能だが、鑑定人は選べず、弁護側に不利益な結果が出ても裁判に提出されてしまう。被告人や弁護人が直接鑑定人に依頼する当事者鑑定ならコントロールできるが、費用もかかるのであらかじめ増山と増山の母・文子(ふみこ)に意思を確認し了承を得ていた。

「鑑定書ができるまでには時間がかかる」都築が志鶴に言う。「あの裁判長はさっさと弁護側の予定主張を出せとせっついてくるだろうが、そう言ってつっぱねてやればいい。うまくすれば、その間に23条照会からXにたどり着くことができるかもしれない。そうなれば盤面はひっくり返る。公判前整理手続が終わったあとは、よほどの事情がない限り証拠調べ請求はできなくなる。増山さんやお母さんには我慢してもらうことになるが、予定主張には準備を尽くして臨もう」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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