◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第143回

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第8章──追跡 07
裁判員裁判での「争点の整理」について、都築と志鶴は一歩も譲らない。

「漂白」目次


「そうだ」都築が言った。「公判前整理手続の段階で裁判官は心証を形成してはならない。裁判官が証拠を見ちゃいけないってことだ。そもそも受訴裁判所が公判前整理手続を担当する制度自体が間違ってる。あんたら裁判官はそれをわきまえるどころか、制度に便乗して公判前から平気で証拠に手を突っ込んでくる。本当は当事者追行主義なんて認める気はないんだろ? 当事者任せにしてたら長期化するから裁判所の権限を振るってちゃっちゃとまとめる──それがあんたらの本音だ。ばりばりの職権主義じゃないか!」

「われわれはすでに検察官の請求証拠に対して証拠意見を述べました」志鶴が引き取る。「そもそも当事者間で判断の分岐点が一致するとも限らない。それを見極めるのは公判期日で行うべきことでしょう。間接事実の立証責任は検察側にある。弁護側がそれを争うと明示すれば、ここで争点の整理などしなくても審理計画を立てることはできる。審理計画を立てることこそ公判前整理手続の最大の目的、公判前整理手続において証拠の評価をすることはそれこそいたずらに審理を長期化させることになるんじゃないですか、裁判長?」

 触れれば切れそうな沈黙。右陪席と左陪席、書記官の顔が蒼白(そうはく)になっている。検察官たちも真顔になっていた。みな無言の能城を見つめている。

 と──正面を向いたままの能城の表情が数ミリ、緩んだ。「予定主張は以上か?」

「まだあります」志鶴が答えた。「弁護人は、増山さんの自白の任意性を争います。さらに、二件の殺人及び死体遺棄には増山さんとは別に真犯人が存在し、偽装工作を行って増山さんを犯人に仕立て上げようとしたことを主張します」

 向き合って座る検察官たちの表情が変わった。世良義照(せらよしてる)は大きく息を吸って背筋を伸ばし、青葉薫は挑戦的に目を輝かせ、蟇目繁治(ひきめしげはる)はにやにや笑った。

「では、引き続き、今の証明予定事実を証明するために用いる証拠の取調べを請求するように」

「取調べ請求をする証拠についてはそちらの書面のとおりです」

 あらかじめ作成した書面を裁判官と検察官に渡してあった。

「請求証拠の開示をするように」

 都築が立ち上がり、弁護側で作成した証拠を裁判官と検察官に配った。勾留理由開示期日の調書、弁護側で増山から聴取した供述調書及びその様子を撮影した映像の記録媒体、二人の専門家による鑑定書、沼田と平野の聴取書、検察から開示を受けた、被害者二人の遺体から採取された漂白剤の成分分析の鑑定書などだ。

「検察官、請求証拠に対する証拠意見は?」能城が言った。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

◎編集者コラム◎ 『旅だから出逢えた言葉 Ⅱ』伊集院 静
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