◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第146回

第5回公判前整理手続期日。裁判長からの「証拠の採否決定」は?
「二人の被害者の遺体から採取された漂白剤の成分を分析した鑑定書。これについて、主張との関連性について釈明を求めます」
こちらの鑑定書は捜査機関による捜査の過程で科捜研の研究員が作成したものだ。
「弁護側は増山さんが犯人でないことを立証しようとしています。漂白剤についての鑑定書はその蓋然性を高めるものです」
世良が探るように志鶴を見た。「漂白剤の鑑定書からどのように被告人が犯人でないと立証する?」
「公判での立証責任はほぼ検察官が負っていると考えます。公判前整理手続で弁護側が取調べ請求証拠についてそこまで立ち入った言及をするのは不適当と考えます」
「では、自然的関連性がないとして証拠は採用するべきでないと考えます」
世良がすべての証拠について意見を述べたところで、都築が口を開いた。
「裁判長!」都築は立ち上がった。「証拠の採否決定の前にひと言申し上げたい」
「──何か」能城は視線を向けずに応じた。
「まず、これまでの私の無礼な態度をお許しいただきたい──」都築は腰を折り、深くお辞儀をした。
能城が都築を見た。眼鏡の奥でかすかに目が開かれた。
都築が長いお辞儀から顔を起こした。顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。
「依頼者である増山さんのため、弁護人として最善を尽くそうと必死のあまり、失礼な言動が多々あったかと思います。裁判長にはさぞやご不快だったに違いありません。ですが、私があのような無礼千万と思われても仕方のない振る舞いをほしいままにできたのも、裏返せば裁判長の公明正大なる訴訟指揮に絶大な信頼があったればこそだったのです──」
都築の朗々たる声が会議室を満たす。正面に座る三人の検察官は舞台役者を観る観客のように見上げていた。右陪席と左陪席、書記官はぽかんと口を開けている。田口は信じられない様子で眉をひそめていた。
「法曹三者の最高位に裁判官が位置することに異論を挟む者はいないでしょう。能城裁判長はその中でも頂点に立つべき高潔な裁判官であることを私は信じて疑いません。傍聴マニアなどといった下賤(げせん)な輩(やから)が好んで読むような低俗な雑誌には、裁判長を『検察と一体化したような』などという表現で貶(おとし)めようとする不当極まりない記事も散見されますが、とんでもない! 法曹三者にあって最も崇高にして何物にも侵されざる権力を持った裁判官が、せいぜい法の番犬に過ぎない検察官ごときにすり寄る必要などどこにありましょうや。能城裁判長──あなたは誰よりも明晰(めいせき)な頭脳と高邁(こうまい)な精神を持った、さながら法の精神が受肉したかのごとき正義の申し子、この上なき人格者です。どうか──どうかくれぐれも正道にかなった公正中立なるご判断を下さいますよう、不肖弁護人この都築賢造、僭越(せんえつ)ながら平に平にお願い申し上げまする──!」
都築は脚を交差させて膝を曲げ、片手を前に、片手を後ろに回しながら深々と腰を折って能城に頭を下げた。
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