◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第148回

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第9章──茶番 02
弁護人として初めて担当する控訴審。志鶴は逆転無罪を勝ち取れるのか?

「漂白」目次


 

 二日後。

 東京高裁の会議室に志鶴は一人で出向いた。向かいの席には東京高検の十和田(とわだ)という検察官。四十代くらいに見える女性だ。

「では事前打合せを始めます」志鶴と十和田を左右に見る位置に座る寺越(てらこし)という男性の裁判長が告げた。

 控訴趣意書を作る段階から志鶴が助力を求めた全国冤罪(えんざい)事件弁護団連絡協議会のメンバーによれば、寺越はこれまで控訴審で二件の逆転無罪判決を下している。職権を発動して事件を再調査することもあったという。高裁の裁判長は普通、経験年数三十年くらいの裁判官が務めることになっている。年齢は六十歳前後だろうが、丸顔で黒縁の大きな丸眼鏡をかけた寺越はそれより若く見えた。

 右陪席と左陪席の裁判官もそれなりに経験を積んだ年齢に見える男女だ。部屋には他に書記官がいた。

 弁護人として控訴審を担当するのはこれが初めてだった。志鶴は緊張していた。

「本件についてはすでに弁護人から控訴趣意書が裁判所に提出され、検察官からそれに対する答弁書が提出されています」寺越は甲高い声で早口に言った。「本日の打合せの議題は二つ。弁護人から取調べ請求されている証拠についての検討と、検察官から要請された被害者参加についての検討を予定しています。まず被害者参加の方からやってしまいましょうか。検察官、被害者の意向を話してください」

「はい」黒いパンツスーツ姿の十和田が答えた。「本件で被害者参加を希望しているのは、被告人に殺害された栗原学(くりはらまなぶ)さんの妻であった栗原未央(みお)さんです。彼女は第一審でも被害者参加しましたが、控訴審でも参加を強く要望しています」

「具体的には?」寺越が訊(たず)ねた。

「公判期日への当事者としての出席、事実又は法律の運用に関する意見陳述、また、もし証人尋問が行われるのであれば証人への尋問。以上の三点です」

「ふむ。弁護人、ご意見は?」寺越がこちらを見た。

「弁護人としては、栗原未央氏の公判への参加には強く反対します」

「それはどうしてですか?」

「理由は三点あります。まず本件では被告人である星野沙羅さんは第一審から一貫して、正当防衛による無罪を主張しています。無罪を主張する事件に被害者は存在しません。一審の裁判長にもそう主張しました。第二は、本来被害者ではない栗原未央氏の公判への参加が、裁判員裁判だった第一審の判決結果に大きな影響を与えたと考えられるからです」

「どういう影響ですか?」

「端的に言えば、栗原学氏の遺族である彼女への事実認定者──とくに裁判員らの共感や同情の念が、星野さんへの有罪心証を形成させる大きな要因になったと考えます」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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