◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第14回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第14回
第一章──自白 09
警察での取調べで、増山淳彦が「自白」に至った経緯とは──?


 彼は思い出そうとするように頭を下げ、それから、「言ってたかも」と答えた。

「警察の人から暴力を振るわれたりしたことはありましたか?」

 増山は、首を横に振った。

「耳元で怒鳴られたり、机を叩かれたりとかは?」

 彼はうなずいた。「今日は」

「次からは、一度でもそういうことがあったら、すぐ弁護士に面会を求めてください。捜査員が乱暴な取調べをするのは、絶対に許されないことなんです。今日は、増山さんから話を聞くことにした理由を警察の人は言っていましたか?」

 すぐには返事がない。増山の頭が落ちる。かたかたと音がした。右膝を小刻みに揺すっている。感情の起伏が激しく、変化の予兆のようなものをほとんど感じさせないタイプのようだ。自分でもコントロールするのが上手ではないのだろう。今の質問が負荷をかけたのだ。

 やはり取調官は証拠を突きつけたに違いない。そしてそれは、増山にとっては触れられたくないことなのだ。

「それで、増山さんは──?」

 口を開きかけた増山は、充血して潤んだ目を志鶴に向けた。が、すぐにまたまぶたを閉ざした。さっきよりもきつく。閉じた口がぷくっと膨らんだ。と思ったら、まぶたと同時にはじけて声が飛び出した。

「──だって、認めないと、許してもらえないだろっ!」

 いきなり沸点に達した。また唾がアクリル板に飛び散った。志鶴はまばたきもせず、彼を見つめた。

「……警察の人にしつこく言われたから、増山さんは、死体を捨てたと認めたんですか」

 増山がうなだれた。うなずいたようにも見えた。

 依頼人が弁護士に対して正直に話すとは限らない。噓(うそ)をつくこともある。実際に罪を犯している人ほどその傾向が強い。犯罪者だからといって恥や外聞と無縁というわけではないし、中には病的な噓つきがいることも否定できない。

 避けては通れない局面にさしかかった。

「増山さん、答えづらいかもしれないことをお訊きします。私は増山さんの味方ですが、増山さんの力になるためには、本当のことを話してもらう必要があるんです。増山さんは、警察に言われたように、被害者──綿貫絵里香さんの死体を捨てたんですか?」

 相手は、うなだれたまま顔を上げない。呼吸をすると、両肩が大きく上がって、落ちた。二度、三度。鼻と口から音をたてて空気を吸い込み、口から音をたてて吐き出した。それから、動きが止まった──いや、小刻みに震えている。ぜえっ、という音が志鶴を驚かせる。

 ぜえっ。ぜえっ──ひぐっ。「んぐっ。ひうう──」声にならぬ声と声との境界のような音が口と鼻から発せられる。うつむいた顔からぼたぼたっと志鶴には見えない太ももの方へと落ちた大きな滴は、涙か鼻水かあるいはその両方だ。

「……ってない……」顔を上げずに言った。

「はい?」

「……やってない」小さいが振り絞るような声。そしてまた泣き出す。

「やってない──増山さんは、綿貫絵里香さんの遺体を遺棄していないんですね」

 顔を伏せたまま泣きながら小刻みにうなずく増山淳彦を、志鶴はいくらか呆然としながら見つめた。

(つづく)

連載第15回

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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