◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第153回

閉廷後、騒然となる法廷。その日の夜、志鶴がパソコンで目にしたのは?
裁判官たちが立ち上がり、志鶴や傍聴人も起立し、一礼した。星野はよろよろとこちらへ戻ってきた。二人の刑務官をおそろしげに見る。彼らの間の席に戻るべきか迷っているようだ。刑務官たちは彼女など存在しないかのように正面を向いて廷吏を待っている。
「大丈夫ですよ、星野さん。あなたは自由の身です」志鶴は声をかけた。「拘置所には戻りません」
「で、でも……有罪って」
「執行猶予がついたんでしょ」傍聴席で立ち上がった酒井が言った。メイクが涙で流れている。「出られたんだよ、とにかく……」
星野が志鶴を見た。わずかの間に驚くほど憔悴(しょうすい)していた。今度こそわかってもらえる──控訴審にそう期待していたが、今度もその思いは踏みにじられた。
「人殺しッ──!」
背中に声を浴びて星野がびくっとし、振り向いた。叫んだのは栗原だった。
「こんな判決あっていいはずがない! 検察官が上告して刑務所送りにしてくれるって。娑婆(しゃば)へ出たって安眠できると思うなよ!」
十和田に促され、捨て台詞(ぜりふ)を残して法廷を出て行った。
星野が志鶴に目を戻す。光がなかった。
「……どうしたらいいんですか、私」血の気の引いた唇がわなないていた。
「日本の刑事裁判は茶番である」──ブログの記事はその一文から始まっていた。
午後十時過ぎ。人気のない事務所のパソコンで、志鶴は『傍聴マエストロ』というサイトにアクセスしていた。傍聴マニアと思(おぼ)しきサイト主が傍聴した公判の感想を綴(つづ)っている。
最新の記事のタイトルは──「正当防衛を主張したが一審で有罪判決が下された事件の控訴審」だった。
日本の刑事裁判は茶番である。九十九・九パーセントの事件に有罪判決が下される現実がある以上そうなるのも自明の理だ。刑事事件の裁判長は有罪判決を出すために裁判していると書いても九十九・九パーセントは正しいのだから。
つまりこの国で警察に逮捕されひとたび検察に起訴されようものなら、有罪行きのベルトコンベアに乗せられたも同然ということ。結果がそうなっている以上、法廷の内外で行われる訴訟手続はすべて筋書きのある茶番劇と考えて差し支えない。〇・一パーセントの例外など誤差の範囲だ。
物語でも論文でも書き始める前にまず結論を考えよというのが鉄則だ。判決文を書く刑事裁判官はその点で頭を悩ませる必要がない。結論は「有罪」だ。あとはこのゴールへ向けて作文すればいい。
あなたは今こう思ったはず。法廷に顕出された証拠という動かしがたい構成要素があるのに、作文なんてできるのか? と。
もちろんである。
この国で長い間事実認定を独占してきた職業裁判官たちが歳月をかけて磨き上げてきた秘法こそこの作文の技術なのだ。筆者の偏見? では現役の刑事弁護士二人の著者による『刑事法廷弁護技術』(日本評論社)という本から少し引用してみよう。
『職業裁判官は、論理的な判決文を効率的に作成する技法を編み出した。それが「間接事実による主要事実の認定」という方法である。訴因を構成する主要事実(殺意、犯人性、共謀、因果関係など)ごとに、過去の先例などを参考に、予想される情況証拠を整理して、それらの全部ないし主要部分が認められるならば、その事実を認定して良いという、いわば1つの「論理パズル」を用意して、その枠組の中で事実の説明をするのである。これは「事実認定」ではない。事実認定の過程を記述するものでもない。裁判官の結論を説明するための作文技術に過ぎない』
- 1
- 2