◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第155回

増山の公判が始まる四日前、志鶴は事務所であるテレビ番組を観ていた。
第十章──審理
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『私の仕事は、依存症の人の治療をすることです』テロップで〈精神保健福祉士〉と紹介された男性が言った。『性犯罪を犯した人の再犯防止治療も行っています』
『逮捕され服役している受刑者や、保護観察を受けている人への再犯防止プログラムですね?』司会を務める女性キャスターが補足する。
『そうです。強制性交や痴漢、露出、盗撮などの罪を犯した人たちが対象です。多くの人は性犯罪の動機は性欲を満たすことと考えていると思います。が、それだけではありません。加害者男性への治療の経験から確信を持って言えるのは、より根源的な動機は支配欲だということです』
『支配欲?』
『女性が苦しむ姿に快感を覚えたり、劣等感の強い男性が自分より弱い女性を傷つけ征服することで優位性を獲得し、心の安定を得る。すべての性犯罪の根っこには男性の支配欲がある──それが私の結論です』
『おっしゃるように加害者の圧倒的多数は男性ですが、その理由についてはどうお考えでしょうか?』
『彼らの支配欲をさらに掘り下げると、社会によって植えつけられた男性ならではの加害性が見えてきます。その加害性を生み出しているのは、この日本という国に二十一世紀の今になっても根強く残る、男尊女卑という観念です』
夜の八時過ぎ。志鶴(しづる)は事務所の会議室のテレビで『緊急特番! 女性ヘイト大国ニッポン』という番組をリアルタイムで観(み)ていた。プロデューサー兼ディレクターは竹中登美加(たけなかとみか)。関西に拠点を持つ中央放送というテレビ局の報道局員だ。志鶴が弁護人となった星野沙羅(ほしのさら)の公判を傍聴し、閉廷後、志鶴に「先生の弁護、感動しました」と声をかけ、「いつか取材させていただこうと思います」と言ったが、志鶴が増山淳彦(ますやまあつひこ)の弁護を引き受けると態度を一変し、この国のすべての女性を敵に回す売名目的の行為だと糾弾してきた。
昨夜、竹中から久しぶりに電話があった。この番組を観ろという。増山の公判期日が始まる四日前、本来そんな余裕はない。テレビにかじりついているのは、竹中が『浅見萌愛(あさみもあ)さんのお母さん、奈那(なな)さんも出ます』と言ったからだ。浅見萌愛は、増山が殺人犯として起訴された事件の一人目の被害者だ。
日本社会が女性に対していかに差別的であるかというのが番組のテーマだった。教育や職業の場での男女格差、それを助長するメディアや広告の問題点に触れたあと、「刑事司法から見る女性差別」という話題に移っていた。
『加害者側だけでなく、被害者の視点からも女性差別について語っていただきます』女性キャスターが続ける。『最初のゲストは、これまで数多くの性犯罪被害者の代理人を務めてこられた弁護士の天宮(あまみや)ロラン翔子(しょうこ)さんです──』
志鶴の心が波立った。ワイドショーのコメンテーターとしても活躍する天宮は、増山の事件の第二の被害者である綿貫絵里香(わたぬきえりか)の遺族から被害者参加弁護士として選任されている。
天宮は、日本で警察や検察、裁判所に性犯罪を認めさせるハードルがどれだけ高いか、諸外国の法律と比較して語った。日本では「暴行・脅迫」が強制性交の構成要件となっており、裁判所がそれを認めなければ被害者がレイプを訴えても無罪になってしまう。かたや諸外国、たとえばイギリスでは、「暴行・脅迫」がなくても被害者の同意なき性交では加害者は強制性交の罪に問われる。
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