◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第158回

公判が始まる前日、東京地裁には裁判員の候補者たちが集められた。
病院を出た志鶴は秋葉原にある事務所へ出勤した。
都築が入院した話を聞くと、田口司(つかさ)は眉をひそめた。「大丈夫か?」
まるで他人事だ。
「私が何とかします」二十期以上先輩の指導係をにらみつける。
田口は眼鏡のレンズの奥で目を細めた。意外だったようだ。
「手伝ってほしいことがあります」志鶴はプリントアウトしたコピー用紙をかざした。「裁判所から、増山さんの公判の裁判員候補者名簿が送られてきました。ウェブで検索してSNSアカウントがないか調べていただけますか?」
「そんなことをしてどうする?」
「特定できれば職業や家族構成、思想の傾向などがわかるかもしれない。そこからプロファイリングして、増山さんにとって不利と思われる人を選任手続で外すようにするんです。私がテレビ局への抗議書面を作る間だけでもお願いします」
「──気休めにしかならんと思うがな」だが名簿は受け取った。
志鶴は自分のデスクで『緊急特番! 女性ヘイト大国ニッポン』を放映したテレビ局への抗議文を内容証明の書式で作成し、内容証明郵便で発送するようパラリーガルの森元逸美(もりもといつみ)に頼んだ。BPO(放送倫理・番組向上機構)のウェブサイトからも人権侵害の申立て用紙の書式をダウンロードし、書面を作成して封入した。あの番組が多くの人に植えつけた、増山こそ犯人であるという先入観が払拭されるとは思わない。が、見過ごせはしない。
田口から引き継ぎ、裁判員候補者のウェブ検索にかかる。裁判所が呼出状を送った名簿の氏名は約六十名分。同姓同名が多ければ特定はできないし、検索に引っかからない者もいる。それでも最終的にはフェイスブック、ツイッター、ブログで十名ほど特定できたと思われた。娘を持つ者、フェミニズムに親和的な者、「正義感」が強く他罰的傾向があると思われる者をチェックした。
裁判員を決める選任手続期日は公判期日が始まる前日に行われる。当日、志鶴は一人で朝から東京地裁に出向いた。選任手続期日には、能城(のしろ)を裁判長とする三人の裁判官の他、検察官、弁護士も立ち会う。三人の検察官のうち、世良義照(せらよしてる)と青葉薫(あおばかおる)の二人が同席した。選任手続に先立ち、呼び出した候補者たちから事前に回収していた質問票の写しを志鶴と検察官が閲覧し、欠格事由がないことを確認した。
呼び出しに応じて出頭した五十名弱の裁判員候補者たちは、集められた会場で初めて対象となる事件の内容を知らされ、事件の関係者でないか等の欠格事由、不適格事由の有無、辞退の意思を当日質問票により確認される。その後、志鶴たちがいる部屋で対面での質問に移る。
「裁判長、有罪基準については説明されますか?」志鶴は能城に訊ねた。
「当然だ」こちらを見ずに言う。
「加えていただきたい質問が二つあります」
「何か」