◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第158回

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第10章──審理 04
公判が始まる前日、東京地裁には裁判員の候補者たちが集められた。

 

 東京地裁を出た志鶴は東京拘置所へ向かい増山と接見した。都築が入院して出廷できなくなったと告げると増山は「えっ……」と目を丸くし、「マジすか」と言ったきり絶句した。青ざめて見える。

「増山さん。この接見室で何度も被告人質問の練習をしてもらいましたよね? 私が弁護人、都築先生が反対質問をする検察官役で」

 増山がうなずいた。

「あのシナリオは私と都築先生で作りました。他の証人に対しても同じように二人でシナリオを作って何度も練習しています。冒頭陳述や最終弁論も。都築先生がやるはずだったことは全部私にもできる。体に叩(たた)き込んである。明日からの公判では、私が都築先生の分まで二人分、いや田口先生の分まで三人分、闘います」

 増山が志鶴を見る。志鶴は微笑(ほほえ)んだ。

「傍聴は抽選になる。増山さんを支援してくれる冤罪(えんざい)被害者支援会の人たちも傍聴券を手に入れられるよう協力してくれますが、お母さんの分を確保できるかはわかりません。傍聴できない可能性もある。でも大丈夫──増山さんには私がいます。法廷で不安になったら、私を見てください。検察官に怒りを感じたら、私を見てください。被害者参加人や傍聴人にプレッシャーを感じたら、私を見てください。裁判長が怖くなったら、私を見てください。そして思い出してください──私がなぜそこにいるのかを」

 増山が口を開く。志鶴はゆっくりうなずきかけた。

 

 拘置所を出た志鶴は事務所ではなく横浜へ向かい、東横線の白楽駅で降りた。坂を上ったところにある寺に入り、高校時代のバンド仲間で、白バイとの衝突事故により十七歳で亡くなった篠原尊(しのはらたける)が眠る墓の前に立った。

 警察は衝突事故の原因は篠原にあると結論づけ、自動車運転過失傷害保護事件の被疑者として書類送検し、被疑者死亡のまま不起訴となった。が、速度超過で一方的に事故を起こしたのは白バイの側で篠原に一切過失はなく、冤罪だったと志鶴は信じている。死人に口なしをいいことに警察が証拠を捏造(ねつぞう)した形跡もあった。弁護士を志したのはこの事件がきっかけだ。

 輸入食品を扱う店で買ったチェリーコークの缶を墓前に供えて手を合わせる。

「君が亡くなって十年以上経(た)つのに、この国の刑事司法は何も変わってないよ──」

 志鶴が弁護人となり正当防衛を主張した星野沙羅は一審で殺人の有罪判決、控訴審でも執行猶予はついたがやはり有罪判決が下った。執行猶予を不服とする検察側はすかさず上告し、三たび弁護人として選任された志鶴は星野と相談した結果、こちらも職権発動による再判断を促す理由を主張して上告した。が、約三ヵ月の最高裁での審理の結果、検察側、弁護側どちらも上告に理由がないとして棄却された。星野の有罪が確定した。

 自由の身にはなっていたものの彼女は元の接客業には戻れず、自動車の大型免許を取得し知り合いのつてで運送会社に勤めている。本人の真面目さに幸運も手伝って社会復帰できたが、犯してもいない、それも殺人という重い罪を背負わされた社会的、精神的な傷はこれから先も決して癒えることはないだろう。

「けど闘うよ。星野さんの冤罪の重み、私も一緒に背負ってるつもり。あきらめず闘い続ける限り、その重さは私の力になる。今度こそぶち抜いてみせる──力を貸して」

 風が立った。届いた気がした。墓をあとにすると事務所へ戻り、明日からの公判期日へ向けて最終準備にかかった。

(つづく)
連載第159回

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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