◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第159回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第159回
第10章──審理 05
午前十時、東京地裁大法廷。増山淳彦の第一回公判がいよいよ始まる──。

「漂白」目次


 

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 五月二十三日。増山淳彦の第一回公判期日。

 志鶴は父親の「頑張れよ」、妹の杏(あん)からの「応援してるよ、しづちゃん」という励ましを受けて家を出た。志鶴が増山の弁護を引き受けたことに納得していない母親は無言だった。公判前整理手続で力を貸してくれた三浦俊也(みうらしゅんや)は昨日電話で『いよいよだな。川村が全力を出し切るのはわかってる。期日中はちゃんと食べてしっかり寝ろよ』と言い、志鶴は「お母さんか」と笑った。パラリーガルの森元逸美からは朝LINEでチアリーダーに扮(ふん)したパンダのキャラクターに『FIGHT!』とメッセージのついたスタンプが届いた。都築とは昨夜電話で簡単に打合せをしたが今朝、『頼みます』とメールが届いた。

 重いキャリーカートを引いて地下鉄の出口付近で相弁護人の田口司と待ち合わせ、東京地裁が入った合同庁舎へ向かう。入り口前の歩道は大勢の報道陣やプラカードを掲げた女性たちであふれ返っていた。プラカードには「女性ヘイト犯罪の無罪は禁止!」「ロリコンの鬼畜に極刑を!」といった文字が躍っていた。増山の報道写真を拡大してギロチンにかける画像加工をしたものもある。竹中登美加が制作して四日前に放映された『緊急特番! 女性ヘイト大国ニッポン』に関係しているか感化された人たちだろう。増山の公判の傍聴席の抽選は、裁判所ではなく隣接した日比谷公園で行われる。それだけ多くの傍聴希望者が想定されているということだ。

 志鶴に気づいた報道陣やプラカードを持った連中が押し寄せてきた。「増山被告は無罪を主張するつもりですか?」「女性ヘイト弁護士!」「今日の意気込みは?」「恥を知れ!」。「邪魔だ、通して!」田口が発する。もみくちゃにされこづかれながら懸命に押しのけて入り口へたどり着いた。体のあちこちが痛い。スーツの皺を伸ばした。

 警備員に弁護士バッジと身分証を見せてセキュリティを抜け、地下一階の接見室で拘置所から押送されてきた増山と接見する。志鶴が差し入れた黒いスーツと白いシャツ姿だ。脱着式ネクタイと黒い革靴のように見えるスリッパは拘置所から貸与された。ベルトも革靴も着用を許されていない。そうした不自然さが裁判員にマイナスの先入観として働くのは防げないだろう。

「びしっとして見える。いいですよ、増山さん」

 今日行われる審理日程について確認し、自分が裁判長役になって想定される被告人の動きを増山に実際に練習させた。

「うん、ばっちり。人定質問は勾留理由開示期日と公判前整理手続で二回やってますもんね。今日の法廷は大きくて傍聴人も多いので最初は緊張するかもしれませんが、そんなときは深呼吸をして、やるべきことを思い出してください。私も助け船を出すので安心して」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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