◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第15回

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第一章──自白 10
被疑者の言葉をどこまで信じてよいものか──志鶴は注意深く接見をつづける。


「警察は増山さんのことを犯人だと思っています。マスコミにも、犯行を自供した、と発表しました。こうなると、検察官も増山さんを犯人とする方向で取調べをするでしょう」

 彼の顎が、わずかに落ちる。

「罪を認めたから取調べがそれで終わりかというと、違います。起訴された人を被告と言いますが、裁判で被告を有罪にするためには、証拠が必要となります。警察や検察は取調べの内容を文書にします。供述調書ですね。増山さんも、昨日と今日、取調べのあとで供述調書に署名と押印をさせられませんでしたか?」

 増山はうなずいた。

「調書は、裁判の重要な証拠となる。少しでも強力な証拠を得るため、警察も検察も増山さんを今後も厳しく取調べて、自分たちに有利な、つまり有罪につながる供述を引き出そうとするでしょう」

 彼の顔がゆがんだ。

「さらに悪い見通しがあります」志鶴は言った。「増山さんは、綿貫絵里香さんの死体遺棄について認めました。警察は、次に、殺人の罪についても増山さんに自白させようとするかもしれません」

 増山は目と口を開き、

「だ、だけど俺、やってない……」

 少なくとも志鶴の目には、彼が噓をついているようには見えなかった。

「何度もしつこく責められたからつい言っちゃっただけで、ほんとは違うし……どうしよう」

 愕然(がくぜん)とした顔で視線を落とした。

「今お話ししたのは、考えられる最悪の流れです。弁護士は、その流れをどこかで断ち切るために最善を尽くします」

 最悪という言葉はたぶん正確とは言えない。マスコミは、綿貫絵里香の殺人死体遺棄事件を同一犯による「二件目の犯行」という線で報じている。警察もそう考えている可能性が高い。けれど今、そこまで断じることはできないし、増山淳彦も、自分が置かれている状況の過酷さはこれまでの話で充分理解できたはずだ。

「しかし、弁護士が増山さんのために戦うのはもちろんですが、無実を訴えるのであれば、増山さんご自身も、警察や検察の攻撃から自分を守らなくてはなりません」

「守るって、どうやって……」

「増山さんには、警察や検察と闘うための武器があります」

「武器──?」

「法律です。今、増山さんは外部から隔離されて自由を奪われ、たった一人で、一日何時間も、何人もの警察官や検察官の追及を受けなければならない。圧倒的に不利な立場です。でも、警察官や検察官も、好きなように増山さんを責め立てられるわけではありません。彼らも、刑事訴訟法という法律に縛られています」

 問いかけるような目が志鶴を見ている。

「犯罪の犯人を明らかにして裁判にかけ、判決を出すまでを刑事手続と呼びます。その、刑事手続について定めた法律が、刑事訴訟法です。逮捕から三日以内に検察官が取調べをすることや、そこからの勾留期間が最大二十日間、ということも刑事訴訟法に定められています。それだけではありません。被疑者や被告人の権利もそこで保証されているんです」

「……権利って?」

「まずは黙秘権です。さっき、警察官も説明したとおっしゃってましたよね?」

 増山が曖昧にうなずいた。

(つづく)

連載第16回

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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