◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第160回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第160回
第10章──審理 06
被告人は証言台に──。能代の言葉で増山は法廷内の視線を一身に浴びる。

「漂白」目次


 廷吏が傍聴人に向かって口を開く。

「この裁判では最初の二分間、報道機関によるカメラ撮影が行われます。映りたくない方は、席を立って一度退出してください」

 何人かが席に物を置いて退室し、傍聴席の後ろのカメラマンたちが撮影を始めた。裁判官たちは微動だにしない。志鶴は今一度デスク周りのセッティングを確認した。スーツの上着のポケットに手を入れ、シリコン製リストバンドを握る。高校時代、篠原尊と結成したバンドで作ったオリジナルだ。

「五秒前──終了です」廷吏が告げた。カメラマンたちが機材を持って退廷し、入れ代わりに退出していた傍聴人が戻ってきて着席した。

 検察官の青葉が立って当事者用ドアを開け、外へ出た。しばらくすると他に三人を伴って戻ってきた。被害者参加人の一人である浅見奈那、その弁護士である永江誠、綿貫絵里香の遺族の被害者参加弁護士である天宮ロラン翔子。遮蔽措置の衝立の向こうでも物音がした。綿貫麻里も入廷したのだろう。浅見と永江、天宮の三人は、検察官席の後ろに置かれた椅子に座った。浅見は喪服のような黒いワンピース姿だ。緊張している様子で法廷内のあちこちに視線を巡らせた。永江は腕組みしてふんぞり返っている。天宮は席を立って衝立の陰に消えた。

 弁護人席の側の壁のドアが開き、手錠腰縄を打たれた増山淳彦が二人の刑務官に連れられて入ってきた。大きな体をすくめるように歩く。傍聴人がいっせいに顔を向ける。増山はおずおずと傍聴席に目を向け、母親の姿を認めるとはっとした顔をした。傍聴席の文子が顔を歪め、手で顔を覆った。息子の姿を目にするのは去年三月終わりの勾留理由開示期日から、じつに一年二ヵ月ぶりだった。増山は腰縄を解かれ、志鶴の左隣に置かれたパイプ椅子に腰を下ろした。刑務官がその左と後ろの椅子に座る。

 正面の浅見が眉根を寄せて増山を凝視していた。増山はそれに気づいて目を落とした。永江が顔をしかめ、首を左右に振った。席に戻っていた天宮は超然として穏やかな表情を崩さない。

「解錠してください」

 能城の言葉で刑務官が増山の手錠を外した。

 手錠腰縄を打たれた増山の姿を裁判員たちの目に触れさせぬよう、公判前整理手続で申し入れた。増山を証言台手前のベンチでなく弁護人席の自分の隣に座らせることも同様に申し入れた。黙っていれば、裁判所は、身体拘束されている被告人が裁判員らに「犯人」に見えるかのような旧態依然とした運用を続けただろう。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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