◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第165回

法廷で解決しなければならない問題が二つある──志鶴はそれを冷静に説く。
増山が志鶴に語った供述と警察で作成された書面等から、増山の事情聴取や取調べを担当した刑事たちを特定した。灰原は増山が「ノッポ」と認識していた刑事だ。柳井に命じられ、助言を受けながら灰原は増山の一人称で綿貫を尾行し刃物で殺害し遺体を遺棄したという事実とかけ離れた、増山が言ってもいない内容の供述調書を作文する。柳井はこのプリントを増山の前で読み上げ、署名と指印を迫った。増山は混乱し、どうしていいかわからなくなる。
「──そこで助け舟を出したのが、警視庁捜査第一課第二強行犯捜査・殺人犯捜査第一係に所属する、北竜彦(きたたつひこ)警部です。北警部は警視庁から足立南署へ派遣された捜査の責任者でしたが、柳井警部補による暴力的な事情聴取を容認したばかりか、自分でも増山さんを恫喝したり机を叩いたりして自白を強要しています」
二日目の事情聴取での自白強要③
北警部による恫喝及び「言葉のトリック」
北は、判断力の低下した増山に、ここで犯行を認めても裁判で裁判官に無実を訴えればいいとアドバイスする──そうすれば家に帰れるという事実に反する報酬をちらつかせつつ。それでも署名を渋ると、殺人を外し死体遺棄だけを認める供述調書に書き直させてやると大きな譲歩であるかのように告げ、灰原に新たな供述調書を作らせた。死体遺棄なんて軽い罪だ──そう言われた増山は、言われるまま署名と指印をしてしまう。逮捕されたのはその直後だ。
「皆さんにご記憶いただきたいのは、増山さんが逮捕されるまでのこの事情聴取は、その後の取調べとは異なり、録音も録画もされていないという点です。事情聴取の段階では録音・録画が義務づけられていません。刑事たちはそれを承知で増山さんに恫喝や暴行などの違法行為を働き、さらに署名すれば解放されると錯覚までさせて、刑事が作文した供述調書に署名させたのです。もちろんこの時点で、増山さんは弁護士を呼ぶこともできませんでした」
逮捕後、当番弁護士として志鶴が接見したあとも増山は黙秘に転じることができなかった。取調べ以外の場で北警部から暴力を受けており、恐怖に支配されていたからだ。その事実をしばらくの間は志鶴に話すことさえできなかった。志鶴の助言で数日は黙秘できたが、捜査担当検事の岩切に録画前に脅され、心をくじかれた増山は絶望のどん底で綿貫への殺人の罪まで認めてしまう。