◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第175回

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第10章──審理 21
検察側の尋問に出廷した三人目の証人は、増山に最大の悪意を持っていた。

「漂白」目次


 

     7

 昼の休憩の後、公判が再開された。

 証言台に向いて座ったのは高齢の女性だった。世良が尋問に立つ。

「お名前を述べてください」

「芝垣悦子(しばがきえつこ)です」

「年齢は?」

「七十四歳です」

「職業を教えてください」

「三年前に主人が亡くなるまでは主婦でした。今も仕事はしておりませんので、無職ということになりますかしら」

 黒いワンピースの上にラベンダー色のスタンドカラーのジャケット。真珠のネックレス。髪の毛はきっちりパーマされ上品な紫色にカラリングされている。メイクは濃すぎるほどだ。祝い事の場にこそふさわしい装いだった。

 個人情報を守るため法廷で遮蔽措置を求める証人も少なくないが、彼女はむしろ注目を浴びることを楽しんでいるように見えた。その理由の見当はつく。芝垣はこの公判においておそらく増山に対して最大の悪意を持って出廷する究極の敵性証人だ。

「住所はどちらでしょう」

「東京都足立(あだち)区に住んでおります」

 次いで世良は芝垣に、被告人である増山やその家族と面識や利害関係のない第三者であることを証言させた。

「今日この法廷にご足労いただいた理由を説明していただけますか」

「はい。令和△年九月十四日の夜、自宅の近くで女子と、そのあとをつける不審な男性を見かけました。そのことについて、見たままをこちらで話してほしいということだと理解しております」

 背筋をぴんと伸ばし、質問に答えるときは世良でなく法壇に顔を向け、一語一語はっきり話した。

「なぜその日付を覚えていらっしゃるのですか」

「忘れられっこありません。あんな恐ろしい事件が発覚した前日ですもの」両肩を縮めて震わせた。

「あんな恐ろしい事件、というのは?」

 彼女は検察側席の浅見奈那を見た。「お気の毒に」眉を曇らせる。「荒川河川敷で、浅見萌愛さんの死体が発見された事件です」

 浅見が身をこわばらせた。芝垣は視線を世良に移した。

「浅見萌愛さんのご遺体が発見された日の前の晩、あなたは自宅の近くで女子とそのあとをつける不審な男性を見かけた。その時刻は覚えていますか」

「覚えています」

「どうして覚えているか教えてもらえますか」

「そのすぐあと自宅へ戻ってテレビをつけたら、ちょうどNHKの夜九時のニュースが始まるところだったからです」

「あなたが女子と不審な男性を見たのは何時頃だったでしょう」

「八時──午後八時五十分台だったと思います」

「令和△年九月十四日午後八時五十分台に、あなたは自宅の近くで女子と不審な男性を目撃した」世良が能城を見た。「裁判長、ただ今の証人の供述を明確にするため、甲×号証・令和×年四月四日付検察官調書添付の現場地図から書き込みを削除した図面を利用して尋問することを許可してください」

 能城が志鶴を見た。「弁護人?」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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