◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第176回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第176回
第10章──審理 22
事件当夜「不審な男性」を見たという証人。志鶴は反対尋問にのぞむ。

「漂白」目次


「九月十四日午後八時五十分台に、あなたは自宅近くで女子中学生くらいに見える女子と、その三メートルほど後ろを同じ方向へ歩いている男性を見た。そのあと何が起こりましたか」

「はい──まず私は、オーランドが用を足したあとに持ち歩いていたペットボトルの水をかけ、道路を渡りました」

「そのときのあなたの動きを矢印で書き込んでください」

 芝垣は〇から道路の反対側へ向け矢印を書き込んた。

「あなたが道路を渡る間、女子はどうしていましたか」

「歩き続けていました」

「女子の動きを矢印で書き込んでください」

 芝垣が△の左に書いた矢印の先から続けて矢印を書いた。左へ進んだ線が下向きに折れた。

「女子がどう動いたのか言葉で説明してください」

「江北橋通りからこの角で左へ曲がりました」

「女子が左に曲がったとき、男性はどうしていましたか」

「歩き続けていました」

 世良はその動きも矢印で書かせた。男性の矢印は女子の矢印と並ぶ形で書き込まれた。世良は芝垣に口頭で「男性も女子のあとを追って角を曲がりました」と語らせた。芝垣も同じ角で曲がり、女子とあとをつける男性が都道450号へ出、右へ曲がって見えなくなったあと、自分は手前のT字路を右へ曲がり、突き当りを右へ曲がって自宅マンションに帰った──という内容を彼女は続けて証言した。女子と男性が都道450号へ出て右に曲がったあと、二人の姿は見ていない。

 世良が尋問を続ける。

「あなたが女子と不審な男性のことを覚えていたのは、荒川河川敷で浅見萌愛さんの死体が発見された事件があったからと先ほどうかがいました。あなたは事件が発覚する前夜、九月十四日午後八時五十分台に自分が見た、中学生くらいの女子のことを誰だと思ったのですか」

「浅見萌愛さんです」

「なぜそう思ったのですか」

「翌日のテレビのニュース報道で萌愛さんの顔写真を見て、昨夜見た子に間違いないと思ったからです」

 浅見奈那が小さく声を発して顔を両手で覆った。

「今でもそう確信していますか」

「はい」

「では、浅見萌愛さんと思われる女子のあとをつけていた不審な男性については、どうでしょう?」

 芝垣が息を吸った。「この法廷にいる人です」

「あなたが見た不審な男性は今この法廷にいる。そうおっしゃるのですね。ではその人を示してください」

 芝垣はその場で立ち上がった。胸をそらすとこちらを向き、右腕を肩の高さでまっすぐにして人差し指を伸ばした。法廷中の人間が増山に目を向けた。

「あなたが指で示しているのは、誰ですか」世良が訊ねた。

「被告人──増山淳彦です」芝垣がこれまで以上に芝居がかった口調で告げた。

 おおっ、という声が傍聴席であがり、増山がぼそっと言った「クソババア」という言葉をかき消した。増山は顔を上げ、芝垣を見つめ返していた。日頃からむっつりした表情をしているが、いつもよりすがめた目が怒りを表しているのは間違いない。

「私に任せて」志鶴は小声で言った。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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