◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第177回

この証人に容赦は無用だ──志鶴は検察側からの異議にも立ち向かう。
裁判員に、志鶴が証人をいじめているように思われるのは得策ではない。裁判員が証人に同情的になり、信用性についての判断が甘くなるからだ。だがこの証人に容赦は無用だ。
「あなたはまず警察でそのことを話しましたね。それはいつですか」
「たしか──三月二十九日でした」
「令和×年三月二十九日ですね。つまり、あなたは浅見萌愛さんのご遺体が発見されたニュースを見た日から半年以上経ってから初めて警察で、あなたが目撃したとおっしゃることを話した。そういうことでしょうか?」
「あの、半年以上経ったのにはちゃんと理由がございましてですね──」
「『はい』か『いいえ』で答えてください」笑顔で促した。
芝垣はいったん口をつぐんだ。「……はい」
「半年以上前のことをきちんと思い出せましたか」
「ええ」
「細かなところまで?」
「はい。記憶力には自信があります」
「あなたは警察官に、自分の記憶のままに話したということですね」
「そうです」
「そのとき警察官は、供述調書というものを作りましたね」
「はい」
「調書にはあなたが話したとおりに書いてもらいましたね」
芝垣はちらっと世良の方へ目をやってから、志鶴を見た。「──それはちょっとわからなくなってしまいました」
どういう意味だ、と訊きたくなるのを踏みとどまる。
芝垣は三月二十九日、足立南署で事情聴取を受けた。そして四月四日、今度は検察庁で検事の岩切から事情聴取を受けていた。警察官が作成した供述調書と検察官が作成した供述調書の内容にはあちこちに齟齬(そご)がある。芝垣の証言には変遷が見て取れるのだ。結果、先ほどの主尋問で証言した内容と警察官調書での証言内容とにはいくつも食い違いが生じている。その矛盾した供述を示して芝垣の証言の信用性を弾劾する──それが志鶴の狙いだった。そのためにはまず、法廷での証言に間違いはないと芝垣に認めさせ、次に、警察署での証言も間違いないものだったと認めさせる順を追ったプロセスが不可欠だ。
世良はそれを見越して、自己矛盾供述による弾劾を封じるため、芝垣に入れ知恵をしたのだろう。
「調書が完成すると、警察官はあなたにその内容を読んで確認しましたね」芝垣の返答を無視して訊ねる。
「しました」
「警察官が読み上げたあと、あなたは自分でもその調書を手に取って、読んで確認した。そうですね?」
「そうだったかしら……」細長い首をかしげた。
「どちらですか」
「そうだったと思いますわ」
「調書に書かれていることが間違っていないことを確認したうえで、あなたはご自分の署名をして、ご自分の印を押印した。そうですね?」
「署名と捺印(なついん)はいたしました」
「『はい』か『いいえ』で──」
「はい」
「証人に、証人の令和×年三月二十九日付警察官調書末尾の署名・押印部分を示します──」
「裁判長、異議があります──!」待っていたとばかりに世良が立ち上がった。「刑事訴訟規則199条の11第1項──"訴訟関係人は、証人の記憶が明らかでない事項についてその記憶を喚起するため必要があるときは、裁判長の許可を受けて、書面(供述を録取した書面を除く。)又は物を示して尋問することができる"。つまり、供述録取書の提示は明文で禁止されているのです」
「弁護人?」能城がこちらを見た。
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