◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第178回

志鶴は、警察官調書の内容と証人の法廷での発言との食い違いを指摘し……。
「この調書の末尾に『芝垣悦子』と署名があります」尋問を再開した。「これはあなたが書いたものですね?」
芝垣悦子は「そうだと思います」と答えた。
「その横には『芝垣』と押印されています。これもあなたが押印しましたね」
「はい」
「先ほどあなたは、令和△年九月十四日の夜、女子と不審な男性を見たという時刻について『午後八時五十分台』と証言されましたね?」
「ええ、そうです」
「調書を読み上げます──」志鶴は該当するページを開いた。「『私がその女の子と怪しい男を見た時間は、たしか午後六時過ぎだったかと思います』。あなたが最初足立南署で警察官に語った時刻は、先ほどの証言より二時間以上も前です」
「あら、そうでしたか」と言ったが動揺の色は見せなかった。
「ここで四月四日付の証人の検察官調書を読み上げます」志鶴は書面を持ち替えた。「『私が女子と不審な男性を目撃した時刻は、午後八時五十分台でした』。こちらは先ほどの証言と一致する。生前の浅見萌愛さんの最後の姿が記録されていた、コインランドリーの防犯カメラ映像の時刻は午後七時三十三分。彼女はそこから遺体発見現場方向へ向かっていた。さらに警察や検察は、その夜増山さんが自宅のパソコンで午後八時七分から八時三十二分まで漫画を見ていたという証拠をつかんでいた。足立南署で最初にあなたの話を聞いた警察官はそこまで意識していなかった。でもその警察官調書を読んだうえであなたから話を聞いた岩切検事は違う。増山さんがより犯人らしく思えるよう、あなたが不審な男性を見たという時刻を警察署での証言より二時間以上遅いものに誘導した。お訊ねします。あなたが、女子と不審な男性を見たという時刻について、足立南署での証言と検察庁での証言を大幅に変えたのは、検察官に誘導されたから、ですね?」
「異議があります」青葉が立ち上がった。「ただ今の弁護人の質問は、供述に現れていない事実を存在するものと前提する誤導尋問です」
「異議を認める」能城が言った。「弁護人、質問を変えるように」
「質問を変えます。あなたが女子と不審な男性を見たという時刻について、あなたは、足立南署と検察庁とでは二時間以上異なる証言をした。間違いありませんね?」
「調書にそう書いてあるなら、そうかもしれませんわね」
「時刻だけではありません。あなたが目撃したという女子と不審な男性、あなた自身が歩いたというルートについても、警察での証言と検察庁での証言が違っています。裁判長、証人の証言を明確にするため、先ほどの主尋問で証人が地図に書き込みをした図面を再度示す許可を与えてください」
「検察官?」
世良が立ち上がった。「──異議はありません」
主尋問で芝垣が地図に書き込みしたデータは、公判の記録を調書化する書記官によって保存されている。志鶴はそれをディスプレイに表示させた。
「あなたが先ほど証言された、九月十四日の夜に移動したという道筋は、ご自身が書き込んだその矢印のとおりで間違いありませんね?」
「──はい」
「令和×年三月二十九日付警察官調書を読み上げます。『女の子は、コインパーキングのある角を左へ曲がりました。怪しい男も同じ角を左へ曲がりました』。『私も、コインパーキングのある角を左へ曲がりました』」書面から顔を上げる。「芝垣さん。この地図にコインパーキングはありますか」
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