◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第179回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第179回
第10章──審理 25
矛盾した供述を示して証言の信用性を問う弁護側の狙いに対し、検察側は?

 やはり世良は、志鶴の自己矛盾供述による弾劾を見越して芝垣のために逃げ道を用意していた。

「弁護人、再反対尋問は?」能城が訊ねた。

「川村が──」志鶴は立ち上がった。余裕を取り戻している芝垣に向き直る。「九月十四日の午後八時五十分台に外出していたという理由についてあなたは、飼い犬の散歩をしていたと証言されましたね?」

「さようでございます」

「あなたはふだんそんな遅い時間に犬を散歩させているんですか」

「えーと──いつもというわけではございません」

「あなたは飼い犬を一日に何回散歩させていますか」

「……一回です」

「あなたは一日一回しか犬の散歩に出ていない。その散歩は夜じゃなく朝、行かれてるんじゃありませんか」

 芝垣は黙った。目が左右に動いた。「そういう日も、あります」

「犬の散歩に出る時間は決まってない?」

「え──ええ」

「本当に?」

「本当です」椅子の上で姿勢を正した。

「本当は、あなたはふだん、犬の散歩は朝に一回だけしか行っていない。そうではないですか」

「──違います」

「裁判長」能城を向く。「証人が住むマンションの管理人を務める、荒木三郎(あらきさぶろう)氏を証人として尋問することを請求します」

 芝垣がはっとした様子で志鶴を見た。

「異議あります!」世良が立ち上がった。「刑事訴訟法316条の32に、公判前整理手続が終わったあとは『やむを得ない事由』を除いて証拠調べ請求できないと定められています」

「弁護人、その証人の尋問を請求する理由を述べなさい」能城が命じた。

「証人が住むマンションの管理人である荒木さんは以前、証人が、犬の散歩は朝に一回だけしか行かないと話すのを聞いています。その事実を法廷に顕出し、証人の証言を弾劾するためです」

 警察官調書と検察官調書との間の証言の無節操なまでに甚だしい変遷を見ただけでも、芝垣の目撃証言はでたらめだと、公判前整理手続で開示された供述調書に目を通した時点で志鶴と都築の意見は一致した。もし浅見萌愛が、ファミリーセブン綾瀬店を出たあと徒歩で荒川河川敷へ向かったのなら、コインランドリーの防犯カメラ以外にもどこかで彼女の姿が防犯カメラに捉えられていたと考えるのが自然だ。コインランドリーから遺体発見現場まで、防犯カメラを避けるルートは存在するが遠回りだし、浅見に防犯カメラを避ける動機がなければそのルートを選ぶのは不自然だ。その点でも芝垣の証言は怪しい。

 だが偽証は刑事罰に問われる罪だ。そんなリスクを冒してまで虚偽証言をする動機は何か。志鶴は自ら彼女の身辺を調査した。聞き込みの過程でマンションの管理人である荒木という人物から芝垣の犬の散歩時間に関する証言を得た。

 能城は左右の陪席と話し合ってから志鶴を見た。「異議を認める。弁護人の尋問請求は棄却する」

「どうしてですか」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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