◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第181回

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第10章──審理 27
検察側の証人の信用性を問う材料を、弁護側はもうひとつ用意していた。

「漂白」目次


 志鶴は芝垣に向き直った。芝垣は緊張しているように見えた。

 芝垣からと思われる手紙を受け取ってしばらく経った四月、田巻夫妻は児童相談所の職員らの訪問を受けている。幼児への虐待があるかもしれない、と児相が対応に当たる一八九番通報を受け、事実を確認すべく臨場したのだ。調査の結果、虐待の事実は確認できないとして職員らは引き上げた。職員らは田巻家の、芝垣とは反対側の隣人にも話を聞いたという。隣人は虐待があるとは思えないと証言し、合わせて、芝垣がクレーマー気質であることも話した。田巻夫妻もこの隣人も通報したのは芝垣だと信じている。管理人の荒木はこの騒ぎを受け志鶴に連絡をくれたのだ。 

 志鶴は弁護士照会をかけたが、一八九番の通報者は守秘義務により保護されており特定できなかった。この事実を法廷に示すことはできない。

「質問を変えます」志鶴は弁護側席から書面を取って証言台に歩み寄った。「証人に、令和×年三月十九日付足立綾瀬郵便局消印の、足立区綾瀬×丁目×番地増山文子宛の手紙を示します」

 芝垣の眉が上がった。

「異議があります──」それを見てすかさず世良が立った。「反対尋問の範囲外の尋問です!」

「弁護人?」能城が言った。

「刑事訴訟規則199条の4第1項──"反対尋問は、主尋問に現われた事項及びこれに関連する事項並びに証人の供述の証明力を争うために必要な事項について行う"。主尋問で証人は、増山さんや増山さんのご家族とは面識がなく、利害関係もない第三者だと供述しました。その供述の信用性を弾劾するための尋問です。まさしく反対尋問として規定されている尋問です」

「──検察官の異議を棄却する。弁護人、続けて」

 芝垣は青ざめて見えた。

 志鶴は白い封筒の中から折りたたまれた便箋を取り出すと開き、書画カメラの下に置いた。黒いボールペンによると思しき、神経質さを感じさせる字で文章が縦書きに記されている。

「読み上げます──」

 

 怪物の母・増山文子へ

 あなたの息子である増山淳彦が黙秘に転じたとニュースで観ました。罪のない、いたいけな女子中学生二人を凌辱して無残に殺したばかりか、一度は二人目の犠牲者の殺害を認めたにもかかわらず、弁護士がついたら黙秘に転じるなど、人間離れした恥知らずな神経の持ち主の所業に他なりません。
 そんな凶悪な人間が遠からぬ場所に住んでいたと思うと恐怖とおぞましさとで背筋が凍りつく思いです。あなたの息子の犯した罪の被害者は殺された二人だけではない。同じ地域に住むすべての人たちも、おぞましい犯罪によって凌辱され、汚されたのです。絶対に許されていいはずがない。
 あなたも同罪だ、増山文子。あなたの息子は人間ではありません。人の皮をかぶった怪物です。母親であるあなたにも化け物を生んで育て世に放った責任がある。生きたまま串刺しにされ地獄の業火に焼かれてしまえ。

 正義のエッちゃんより

 

「──以上です」

 傍聴席でざわめきが生じた。皆、芝垣に注目している。芝垣はかすかに口を開けていた。この手紙を書いた時点ではまだ、増山を目撃したと警察で証言することまでは考えていなかったのかもしれない。郵便を投函した場所は自宅の近くではなく増山の家の近くだったが、匿名とはいえ本名を連想させる「エッちゃん」と名乗ってしまっている。それでも証人に名乗りを上げたのは、まさかこの手紙が自分と結びつけられ、法廷に出されるなどとは思っていなかったからだろう。検察側席で検察官三人が席を立ち、固まって話し合いを始めた。

「この手紙はあなたが書いたものですね?」志鶴は芝垣に問うた。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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◎編集者コラム◎ 『消える息子』安東能明