◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第181回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第181回
第10章──審理 27
検察側の証人の信用性を問う材料を、弁護側はもうひとつ用意していた。

「ち──違います!」芝垣が答えた。「そんな手紙、知りません。何かのでっち上げです」

「でっち上げ? つまりあなたは、ここに書かれた『エッちゃん』がご自分の『悦子』というお名前と関係があると認めるのですね?」

「い──いいえ!」

 志鶴は間を取った。

「──裁判長、民間の法科学鑑定機関の研究員である宮路康正(みやじやすまさ)氏を証人として尋問することを請求します」

「その証人の尋問請求をする理由は?」能城が訊ねた。

「増山さんのお母さんが受け取った手紙、証人の隣人である田巻夫妻が受け取った手紙を鑑定にかけたところ、その両方から、私や増山文子さん、田巻夫妻のものではない同一人物の指紋が検出されました。さらに、それら二通の手紙と、証人が警察官調書と検察官調書に署名した文字の筆跡鑑定をしたところ、すべて同一人物が書いた可能性が極めて高いという鑑定結果を得ました。その鑑定を実施し、鑑定書を作成した人物である宮路氏を尋問してその事実を法廷に顕出し、証人が主尋問でした供述の信用性を弾劾することが目的です」

 志鶴が田巻夫妻から借りた手紙を読んで、増山文子が受け取ったいやがらせの手紙の一つにあった文章──「あなたの息子は人間ではありません。人の皮をかぶった怪物です。母親であるあなたにも化け物を生んで育て世に放った責任がある。生きたまま串刺しにされ地獄の業火に焼かれてしまえ」──を思い出したのは都築だった。都築は文子に、いやがらせの葉書や手紙はすべて保管するよう助言していた。調べたところ、匿名ながら送り主が「正義のエッちゃん」を名乗っていることがわかった。反対尋問に備え、文子の同意を得て鑑定にかけたところ、いやがらせの手紙の送り主が芝垣悦子でほぼ間違いないという結果が出た。

 芝垣が偽証をした動機はおそらく金銭等ではない。肥大化した自己愛がワイドショー的正義感や自分にとって不快なものを糾弾したいという排他的傾向と結びつき、性根にある攻撃性を暴走させたのだ。病的なプライドとそれを守るための虚言癖を持つ人間なら、自らの噓を半ば真実と思い込んでも不思議ではない。彼女に自分が偽証をしているという自覚はきっともはやない。法廷は彼女にとって、増山に正義の鉄槌(てっつい)を下す役を演じるというエクスタシーに満ち満ちた経験を提供してくれる最高の晴れの舞台だ。世間の注目が高い重大事件では、偽証もいとわない人間も存在する──都築はそう語った。

 増山を逮捕した時点で警察や検察は綿貫絵里香の遺体遺棄現場で増山のDNAが検出された煙草の吸い殻をつかんでいたし、強要による虚偽のものではあったが増山から殺害について認める自白も引きずり出していた。が、増山が黙秘に転じたため、浅見萌愛の死体遺棄や殺害について自白を得ることはできず、増山と浅見を結びつける証拠は、かろうじてファミリーセブン綾瀬店の防犯カメラ映像があるだけだった。

 浅見の殺人についても起訴しようとしていた捜査担当検事の岩切にとって、芝垣の証言内容は増山と浅見を結びつける強力な武器だ。劇薬と知りつつ服(の)まずにはいられなかった。岩切が芝垣の供述を誘導して調書を作文したであろうことはほぼ間違いない。捜査担当検事は、自らに不利な証拠を消極証拠としてなかったものとし、自らに有利な積極証拠だけで起訴状を固めようとする。証人を誘導して証言を変えさせるのは珍しくもないことだ。そもそも、検察側証人への反対尋問で、自己矛盾供述による弁護人の弾劾をいやがって供述調書を示すのを防ごうとする公判担当検事が少なからず存在すること自体が何をかいわんやだ。

 公判を担当した三人の検察官も、筋のよくない証人であることは承知していたはず。それでも証人テストで訓練して自己矛盾供述に備えればいけると踏んで岩切が起こした起訴状のまま突き進んだ。芝垣という石をひっくり返したら、その下からマンション管理人の証言や隣人と増山文子への脅迫状めいた手紙という毒虫がわらわら湧いてくるとは思っていなかったろう。

(つづく)
連載第182回

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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◎編集者コラム◎ 『消える息子』安東能明