◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第182回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第182回
第10章──審理 28
増山の母親への脅迫状めいた手紙が読み上げられ、法廷はざわめいている。

「漂白」目次


「検察官?」

「異議があります──!」世良に必死さが見えた。「やむを得ない事由には当たりません」

「やむを得ない事由はあります」志鶴は答えた。「手紙と調書の署名について鑑定機関に鑑定を依頼したのは、審理計画が策定されたあとでした」

 志鶴が田巻から借りた手紙を見て、都築が以前に目を通した増山文子へのいやがらせの手紙のことを思い出したのは、公判前整理手続が終わったあとのことだった。もっと早く気づいていれば当然公判前整理手続で尋問申請をしていた。

 能城は左右の陪席とこれまでで一番長い時間合議してから志鶴を見下ろした。「異議を認める。弁護人の尋問請求を却下する」

 傍聴席がざわついた。

 志鶴はしばらく無言で能城を見た。法廷に沈黙が満ちた。口を開く。「どうしてか理由を教えてください」

「証人が否認した事実の証拠価値と比較して、弁護人が尋問請求した証人の取調べのために費やされる時間と費用、審理計画の変更に伴う裁判員の皆さんの負担等は過大であると評価できる。したがって裁判所としては、弁護人が請求する外的証拠には法律的関連性がないと判断せざるを得ない」

「納得できません」

「検察官は公判前整理手続で芝垣証人の供述調書の証拠調べを請求し、弁護人が不同意だったため公判で証人として尋問されることとなった。すでにその時点で検察官は証人の供述調書を弁護人に公開し、弁護人はそこに書かれている内容を知っていた。弁護人が先ほど提示した手紙の消印の日付は公判前整理手続のはるか以前であり、鑑定依頼が審理計画策定のあとだったという事実をもってただちに不可抗力と評価することはできない。よって、裁判所としてはやむを得ない事由が存在すると認めることはできない。もう一度言う。弁護人の尋問請求を棄却する」

 志鶴は歯を食い縛った。鼻から息を吐く。「裁判長のその裁定に異議を申し立てます」

「検察官?」

「──弁護人の異議には理由がありません」

「弁護人の異議を棄却する。弁護人、尋問を続けるか?」

 息を吸った。「──続けます」芝垣に向き直った。

 芝垣は志鶴と目を合わせず、取り澄ました顔で視線を下に向けていた。

「法廷で噓の証言をすることは、偽証罪という罪に問われるれっきとした犯罪行為です。あなたはそのことをご存じですか」

 こめかみの辺りがぴくりと動いた。「──存じております」

「あなたは尋問に先立ってこの法廷で刑事訴訟法第154条に定められている宣誓をした。偽証罪が成立する要件の一つです。それはご存じですか」

「裁判長、異議があります」世良が立ち上がった。「刑事訴訟規則199条の13第2項1号に"威嚇的又は侮辱的な尋問"をしてはならないと定められています。弁護人のただ今の尋問は証人を威嚇し、萎縮させるもので許されません」

「弁護人?」

「私は威嚇などしていません。証人に事実を確認しているだけです。証人の供述の証明力を確認するために必要な尋問で、反対尋問の範囲内です。検察官の異議にはまったく理由がありません」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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