◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第189回

遺体に遺る爪痕と増山の爪痕は一致しない──その結論までのプロセスは?
浅見の遺体写真を元に3Dプリンタで作成したシリコン製の首のモデルを、志鶴たちと南郷は東京拘置所で刑務官を通して接見室の増山に渡し、実際の扼痕に近いよう扼殺をシミュレートさせ爪痕の位置のデータを取った。この場面はアクリル板ごしに動画と静止画で撮影もしている。
過去に、東京拘置所の接見室で、被告人の健康状態の異常に気づいた弁護人が証拠保全のために被告人を撮影したところ、拘置所の職員に撮影を制止され接見を中止させられるという事件が起きた。この弁護士は国に損害賠償を求める裁判を起こしたが、一審を経て二〇一五年、東京高裁は写真撮影や録画は「接見」に含まれないとして職員の行為を適法とし、原告の請求をすべて棄却する判決を下した。
この判例を盾に邪魔されぬよう、あらかじめ拘置所長に接見室で鑑定を行う旨とその際撮影・録画することを伝えておいた。所長は難色を示したが、もし不満なら身柄を扱う裁判官にそう言って増山を保釈させるべしと都築に詰め寄られ、しぶしぶ認めた。
南郷はさらに、死亡当時の浅見と同身長(センチ単位)、同体重(十分の一キロ単位)の十四歳の少女を治験者等を募集するサイトを通じて募集し、集まった四人の首を実際に採寸してシリコンのモデルを作成した。これらについても接見室で増山の爪痕を採取した。
この四つのシリコンに残った増山の爪痕をふたたびパソコンに取り込んで3Dモデル上に配置し、浅見の遺体画像を解析して取り込んで配置した爪痕と比較する。
この一連のプロセスを証人尋問によって法廷にいかに「プレゼン」するかについて、志鶴と都築は南郷にも協力してもらい練り上げた。わかりやすく説明するため、実験や検証の様子を収めた動画や、南郷が作成したプレゼンテーションソフトによるスライド資料なども組み込んで証拠請求した。尋問については志鶴ではなく都築が二度リハーサルをした。南郷のアドバイスを受け内容を変えた質問もある。南郷が法廷で回答する態度は堂々としておりかつ自然だった。アメリカで検視官として何百回も法廷で証言したという経験は伊達(だて)ではない。
「──では、この実験から導き出される検証結果について、改めて教えていただけますか?」
「こちらの3Dモデルを見ていただければ一目瞭然と思いますが──」南郷はディスプレイを見上げた。「浅見さんのご遺体の首に遺っていた爪痕と、増山さんの爪痕はまったく一致していません。別人のものだと考えられます」
「たしかに、爪痕の位置が一致しているところは一つもないように見えます。他にわかることはありますか」
「最も顕著な特徴は、手の大きさ、あるいは指の長さです。浅見さんのご遺体に遺っていた爪痕の持ち主は、増山さんよりはるかに手が大きい。あるいはそれぞれの指が長い。一番差が小さいと思われる中指でも、一センチもの違いがあります」
ディスプレイに映し出された画像を見れば、百人中百人が南郷の言葉を認めるに違いない。
「他にはありませんか」
「もう一つ。この二つの爪痕が別人であることを示す際立った特徴があります。人差し指と薬指の長さです。浅見さんの首に遺っていた爪痕は、人差し指より薬指の方が長い。反対に、増山さんは、先ほどの写真からも明らかなように、人差し指の方が薬指より長い。以上の二点だけでも、二つの爪痕がまったく別人のものであると判断できます。浅見さんの首に遺っている爪痕は、増山さんのものではない。百パーセント近い確信を持って私はそう結論します」
「終わります」志鶴は弁護側席へ戻った。
「検察官、反対尋問を」能城が言った。
世良が立った。
「あなたは、浅見萌愛さんのご遺体の写真を元に3Dモデルを作り、実験と検証を行った──と、そうおっしゃるんですね?」
「はい」
「あなたは、浅見さんのご遺体を直接見ましたか?」
「いいえ」
「あなたは、浅見さんのご遺体を直接計測しましたか?」
「いいえ」
「終わります」世良が検察側席へ戻った。
拍子抜けするような反対尋問だった。検察側の方針が見えた気がした。
「弁護人、再主尋問を」能城が促した。
志鶴が立った。「先ほど、先生が二年間、マサチューセッツ工科大学のMITコンピュータ科学・人工知能研究所に研究員として所属していたことについてうかがいました。そこでの研究について、もう少し詳しく教えてください」
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