◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第19回

「淳彦はどうしていましたか?」依頼人の母親はすがるような目で志鶴に問う。
永江は志鶴の真意を測ろうとするようにしばらく無言でいたが、「ははっ」と愉快そうに笑った。
「川村さん、面白いね。若いっていいなあ。自分が駆け出しだった頃を思い出すよ。でもね、経験が少ないとどうしても視野が狭くなる。まさか自分がこんなこと言う年になるとは思わなかったけど、ちょっとは先輩の意見も参考にした方がいいね」
永江は、今までになく真剣な顔つきと口調で言った。怒っているのかもしれない。であるならこちらの本気が伝わったということだ。
「お母さん、そんなわけだからひとまず帰るけど、何かあったらいつでも連絡ください。やっぱり、いざってときすぐ駆けつけられる弁護士の方がいいと思いますよ。ああいう連中」と玄関の方を顔の動きで示し、「の相手もしなきゃいけないし。そういうのは経験が必要だから。じゃ」
永江は、自分のバッグを持って立ち上がった。文子が席を立ち、彼を追おうとした。
「玄関の鍵は私が」
志鶴が制すると、彼女は足を止めた。
志鶴は廊下へ出た。靴を履いた永江は、志鶴を振り返らずに、ドアを開けた。とたんに表がざわつき、フラッシュの閃光(せんこう)が瞬いた。ストッキングのまま三和土(たたき)へ降りた志鶴は、永江が外に出るとすぐにドアを閉め、施錠した。
「どうしたんですか?」
「さっきの彼女は?」
「どうなったのか事情を訊かせてください」
ドア越しに、取材陣の高ぶった声が聞こえた。
「まあまあ、落ち着いて。説明しますから」永江が応える声も。
何を話すのか気になったが、思いを振り切って居間に戻る。
「淳彦はどうしていましたか?」ソファに座り直すと、依頼人の母親がすがるような目で志鶴を見る。
志鶴は頭の中を手早く整理する。
「──最初は少しパニックになっているようでした。当然の反応だと思います。でも、最後には、だいぶ落ち着かれていました」
文子の顔がゆがんだ。
「なんで親の私は会わせてもらえないんですか? 他人の弁護士さんは会えるのに」
「それは」と説明しかけて気づく。「連絡されたんですか、足立南署に?」
「行ったんです」意外な答えだった。「今朝、あの子が連れて行かれたあと、何時間かして警察の人から電話があって……淳彦が……逮捕されるって。マスコミが来るかもしれないから、少しの間でも、どこかへ行った方がいいって……」
声が震えている。
「信じられますか……? 私、何かの間違いだと思って、警察署へ行ったんです。そしたら、朝、淳彦を連れて行った刑事さんが降りてきて……ほんとだって……」
声を途切れさす。
「どういうことですか……? 私、何度も何度も確かめたんですが、淳彦が逮捕されたのは噓じゃないって……だから会わせてくださいってお願いしたら、駄目だって……法律で禁じられてるからって……そうなんですか?」
彼女が志鶴を見た。
「そうですね……しばらくの間、お母様は淳彦さんに接見できないと思います。犯罪の証拠を隠したりするおそれがある、というような理由で」
「犯罪、って……? 淳彦が死体を捨てたっていうんですか?」
おかしいからでなく、むしろ憤りに起因するであろう笑いの表情。
「警察はそう思っています。それに──淳彦さんが自供されたのも事実です」
文子の下顎ががっくりと落ちた。
「……あの子が……いえ、まさか、そんな」と首を横に振る。
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