◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第190回

日本の法科学、鑑定技術は諸外国に遅れている──志鶴は再々反対尋問へ。
「写真測量とご遺体の死体検案の関係について教えてください」世良が続ける。
「はい」江副が穏やかな顔を裁判員に向ける。「日本では、ご遺体の数値を計測するのに、二次元の写真を用いるということは一般的に行われておりません」
「終わります」世良が席に戻った。
「弁護人、再々反対尋問は?」能城が訊ねる。
「川村が」志鶴が立った。「先生は今しがた、検察官の質問に対して『科学的』という言葉を使われていました。そうですね?」
「ええ」
「先生は法医学の定義について片山国嘉の言葉を引用しています──"法医学とは、医学および自然科学を基礎として法律上の問題を研究し、又之を鑑定するの学である"と。そうでしたね?」
「さようです」
「法医学も科学の一部門である。そういう理解でよろしいでしょうか」
「はい」
「先生にお訊ねします。科学的正確さというものは、国によって変わるものでしょうか」
「国によって……?」
「たとえば、一気圧の場所であれば、水は摂氏百度で沸騰し、零度で氷になる。この科学法則が、日本では正しいが、アメリカでは間違っている──そのようなことはありますか」
「ありません」
「科学的正確さというものが、日本とアメリカとで異なることはない。そういうことですね?」
「──はい」
「先生は先ほど、検察官の質問に対してこうお答えになりました──"写真はあくまで写真であって、そこから科学的に正確な三次元のデータを得るのは不可能です"。間違いありませんね?」
「はい」
「しかし、南郷先生への尋問で示したとおり、アメリカでは現に写真を元に三次元データを解析し、モデル化するフォトグラメトリーという技術が警察等の捜査機関で実用化され、裁判でも証拠として採用されています。科学的に正確だとみなされているからです。先生はその技術を科学的に正確ではないと否定されるわけですね?」
江副が志鶴を見て微笑んだ。
「ちょっと誤解されているように思いますが、水が百度で沸騰するというような自然現象から導かれる法則と、現在も開発中である新しい技術とを同列に論ずることはできません。水が百度で沸騰するというのは不変の事実であり法則で、現代世界中で定説として認められている。一方、最新の技術の評価ということになりますと、これは世界中で一致を見ているとは限りません。たとえば医薬品がそうです。アメリカでは医薬品として承認されていても、日本では承認されず薬機法により適用が禁じられているものが現に少なからず存在します。技術ということで言いますと、医療機器についても同様に海外で認められていても日本では承認されていない機器があります。かように、最新の科学技術については、実地に運用するに際して各国の基準により変わってくるというのが現実です。私が申し上げた言葉の真意は、日本ではまだフォトグラメトリーという技術が刑事司法の場で正確性を認められているとはおよそ言い難いということです」
うまく切り返された。衝撃を表に出さず、やり過ごす。
「──先生のお言葉を借りるなら、医薬品や医療機器の認可と刑事司法における鑑識技術を同列に語ることもできない。違いませんか?」
考えている江副の答えを待たずに弁護側席のデスクからA4のコピー紙数枚をステープラーで綴(と)じた書類を取って証言台に戻る。
「国立国会図書館がウェブ上で公開している論文集『レファレンス』660号所収、岡田薫(おかだかおる)著『DNA型鑑定による個人識別の歴史・現状・課題』を示します」
「検察官」能城が言った。
世良が立って書類を改めた。「裁判長、異議があります。弁護人が提示しようとしている書面は、尋問と関連性がありません」
「弁護人?」能城が志鶴を見た。
「関連性はあります。日本の法科学、鑑定技術がアメリカ等諸外国に遅れており、追随してきたことを示して証人の証言の信用性を弾劾するための資料です」