◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第191回

「犯人、お前か?と冗談で言ったら……」検察側証人から生々しい証言が。
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江副と南郷は退廷し、二人が座っていた傍聴席は空席になっている。今日三人目の証人は今井克人(いまいかつひと)。増山が勤めていた新聞販売店の店長で、検察側証人だ。皺が目立つスーツを着た痩せた中年男性で、顔は土気色がかっており、髪の毛には寝ぐせが残っているようだった。
主尋問には青葉が立った。
まず青葉は、増山が日頃からジュニアアイドルのDVDを好んで鑑賞していると別の従業員に語っていたと今井に証言させた。
「──その従業員から話を聞いて、『ロリコンかよ、気持ち悪いなお前』、と言ったらそれ以来、そういう話はしなくなったようですが」今井は蔑むような目を増山に向けた。
「十七年前、被告人は星栄中学校に、ソフトボール部の女子の制服を盗む目的で侵入し、逮捕されました。この事実についてあなたが知っていることを話してください」
「知っているっていうか──知りませんでしたよ、あの男が逮捕されるまでね」増山の方へ顎をしゃくった。「こんなおそろしいことをしでかす変態野郎だと知ってたら絶対に雇ってるわけないですって。私や私の家族まで世間で悪く言われるようになって、本当に後悔してるんですから」
恨みがましい目を増山に向けた。
「あなたは被告人が過去に逮捕された事実を知らず、被告人を従業員として雇用したわけですね。なぜ知らなかったのでしょう?」
「あの男が言わなかったからに決まってます」いまいましげに増山をにらんだ。
「履歴書についてはどうでしたか」
「もちろん、バイトの面接のとき履歴書はもらいましたよ」
「履歴書には賞罰欄があるはずです。そこには何と書いてありましたか」
「何にも。空欄です」
「他の欄はどうでしたか」
「ちゃんと埋めてありましたよ、自分の字で」
「異議があります」志鶴の隣で田口が立ち上がった。「仙台地裁昭和六十年九月十九日判決にこうあります──"なお、履歴書の賞罰欄にいう「罰」とは一般に確定した有罪判決(いわゆる「前科」)を意味する"と。この定義づけはその後の東京高裁での判決でも維持されています。十七年前、増山さんは逮捕されましたが不起訴になっており、有罪判決を受けていません。ですので、その事実を履歴書の賞罰欄に書く信義則上の義務を負いません。検察官の質問は、増山さんにその義務があったかのように印象づけることを目的とする、誤導尋問です」
「異議を認める」能城が応じた。「検察官は質問を変えるように」
田口の異議は、刑事弁護を何年も離れていたとは思えないほど絶妙なタイミングで的確に発せられ、志鶴は意外に感じた。案外以前は優秀な刑事弁護士だったのかもしれない。
「質問を変えます」青葉が今井に向き直った。「令和△年九月十五日に、浅見萌愛さんのご遺体が荒川河川敷で発見されました。そのニュースについて記憶していることがあれば話してください」
「はい。新聞を扱う仕事なのでニュースには敏感です。職場でもよくニュースが話題になる。あの事件はまず朝のテレビのニュースで知ってびっくりしました」
「どうしてびっくりされたのですか」
「現場が近所だったからです。私の自宅兼職場からバイクで十分くらいの場所で、現場付近もうちの販売店の配達範囲です」
「事件を知ったあと、被告人の様子について覚えていることがあれば教えてください」
「その日の夕刊に、事件のことが第一面で報じられました。店にトラックで届いた夕刊にチラシを挟み込む作業をみんな──私と従業員たちでやったんですが、そのとき私が、『増山、お前、中学生の女の子が好きなんだよな? 犯人、お前か?』と冗談で言ったら、他の従業員は笑ったのに、増山だけは真っ赤な顔になって慌てて、チラシを挟む作業をミスしたんです──」
裁判員と傍聴人が増山を見る。増山は目を落としていた。
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