◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第192回

弁護側にとって、漂白剤の銘柄はDNA鑑定に次ぐ重要なポイントだった。
「あなたは被告人が通勤してきたとき、スクーターの前かごにキッチンホワイトのボトルが入っているのを見た。それからどうしましたか」
「『なんで漂白剤なんか持ってるんだ?』と被告人に訊ねました」
「被告人は何と答えましたか」
「『か、母ちゃんに頼まれて……』と」
傍聴席で笑いが起こった。
「それからどうなりましたか」青葉が続ける。
「『母ちゃんに頼まれて持ってきたのか?』と訊ねると、被告人が『コンビニで』と答えました」
「あなたはその言葉をどう理解しましたか」
「母親に頼まれてコンビニで買ってきた、という意味だと理解しました」
「被告人がコンビニで漂白剤を買ったというタイミングについてはどうでしょう?」
「家を出て、うちの店に来る途中で買ったとしか考えられません。だから不思議でした。母親に頼まれたんなら、仕事が終わって帰りに買うのが普通じゃありませんか?」
増山の母・文子が増山に漂白剤を買ってくるよう頼んだことを志鶴は本人に確認している。浅見萌愛の事件の報道を見て、手持ちのものがなくなりかけているのに気づいたという。頼まれた増山は、仕事終わりでは忘れるかもしれないと家を出てすぐコンビニで漂白剤を買い、そのまま通勤した。増山はそう語っていた。
当初、志鶴と都築は、増山の母・文子を証人尋問してその事実を証言させることで今井の証言を潰すつもりでいた。が、検察官に開示させた資料を改めて読み込んだところ、それ以上に決定的な弾劾方法があることに気づいて方針を変えた。
「その他に覚えていることがあれば教えてください」
「別の従業員が、『漂白剤って──増山さん、また別の女の子殺すつもりじゃないですよね?』と冗談を言ったら、被告人がまた真っ赤になってあたふたしていました」
「被告人がどう返事をしたか教えてください」
「あたふたしてるだけで、何も答えませんでした。否定もしていません」
「尋問を終わります」青葉が席に戻った。
「弁護人、反対尋問を」能城が促した。
「川村が」志鶴は席を立った。
「増山さんが逮捕された令和×年三月十三日の夜七時頃、増山さんの弁護人として私はあなたの店に電話をかけ、店長であるあなたを呼び出してもらいました。覚えていますか」
「……ああ、そんなことあったかも」
「『はい』か『いいえ』でお答えください」
今井は顔を歪め、投げつけるように「はい」と言った。
「そのときの通話であなたは私に、『増山が急にパクられたからこっちは配達がとんでもねえことになってんだ。ただでさえ人手不足だっつーのにあの野郎』と言いましたね?」
今井がぽかんと口を開けた。「いや……」
「『はい』か『いいえ』でお答えください」
「いやちょっと待って。覚えてないって、そんな昔の──」
「そのときの通話であなたは私に『てんてこまいなところにマスコミが押しかけて近所からも苦情が出てる。会社の偉い人からも新聞販売店が新聞沙汰になるようなマネをしてうちの新聞の名前に泥を塗ったってさんざん絞られた。どこで知ったかクレームの電話までじゃんじゃん来てうちのやつも子供たちも怖がってる。あんた弁護士なんだろ? こういうのって迷惑料だか慰謝料だか取れるんじゃねえのか、増山の野郎から。さっさと寄越してくれねえか、損害賠償』と言いましたね?」
「あー……」今井が息を吐く。「いやあ、そんな言い方したかなあ」
「裁判長、異議があります」青葉が立ち上がった。「弁護人の質問には関連性がありません」
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