◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第194回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第194回
第10章──審理 40
増山が虚偽自白をした綿貫絵里香の事件で、証人尋問はさらに苛烈な攻防に──。

「漂白」目次


 

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 五月二十八日。増山の第四回公判期日。

 この日も抽選に外れた増山の母・文子の姿は傍聴席になかった。

 浅見萌愛の事件の証拠調べは昨日までで終わり、今日からは綿貫絵里香の事件の残りの証拠調べを中心に行う。浅見は扼殺だが綿貫は刺殺。浅見の事件では増山の自白はなかったが綿貫では虚偽自白をしてしまっている。浅見の事件とは証拠、争点が異なり、証人尋問での攻防はさらに苛烈になると見込まれた。

 一人目の証人は警視庁捜査一課に所属する男性刑事だった。十七年前、足立南署の刑事課に勤務し、星栄中学校に侵入して逮捕された増山の取調べを行った。世良は事件の状況について供述調書も使って法廷に示した。志鶴は反対尋問しなかった。

 その証人の退廷後、当時増山の取調べを行った検察官が作成した検面調書を蟇目が朗読した。公判前整理手続で志鶴たちは不同意としたが、能城に棄却され証拠採用された。供述調書を不同意とした場合、伝聞証拠禁止の原則により、対立当事者の反対尋問する権利を守るため、本来は供述調書の作成者が証人として出廷する。だが検察官が作成する検面調書は、不同意でも例外的に検事の証人喚問は行われず、反対尋問はできないのだ。

 二人目の証人も警察官だった。星栄中学校で行われたソフトボールの試合映像を所有していた顧問教師の事情聴取を担当し、映像を証拠化した足立南署の女性刑事だ。綿貫の遺体が発見されたちょうど一週間後、増山が逮捕される二週間前だ。

 青葉の尋問の主眼は彼女自身の言葉ではなく、グラウンドの外から試合を観戦する増山の姿を裁判員たちに印象づけることだった。ここまでの公判期日で検察側立証に多少なりとも疑問を持つようになった裁判員がいたとしても、心証がまた黒へと逆戻りしたに違いない。

 志鶴は反対尋問に立った。「先ほどの試合の記録映像で、増山さんの後ろに白い車が停まっていましたね?」

「はい」刑事が答えた。

「車種はわかりますか」

「……わかりません」その話題を避けようとしている気配があった。

「トミタ社製のネオエースです。この車について捜査はしましたか」

「それは──本職はそのような命令を受けておりません」

「捜査をしたんですか、してないんですか」

 息を吸った。「本職の担当ではないので、お答えできかねます」

「答えられない、というのはどうしてでしょう?」あえてオープンな問いを投げた。

「本職は知りません」

「あなたは先ほどの試合映像を証拠化した。にもかかわらず、映像にしっかり映っていた白いネオエースについてあなた以外の捜査員が捜査したかしていないか知らない。そういう意味ですか」

 一瞬口ごもった。「──そうです」硬い表情だ。

 公判前整理手続で類型証拠開示請求をかけたが該当する証拠は提出されなかった。だが当然捜査していたはずだ。車の持ち主にたどり着く前に増山の存在が浮かび上がり、その線を打ち切った。志鶴はそう推測している。彼女も当然知っているはずだが、正直に答えても否定しても捜査を十分に尽くしていないと思われる危惧があるのではぐらかしているのだろう。トキオの存在を示せない歯がゆさは募る一方だ。しかしこれ以上深追いしても得るものはない。

「終わります」

 再主尋問で青葉は白いネオエースについては一切触れなかった。無視するのが最善の策だと判断しているのだろう。予想どおりだ。志鶴は再反対尋問しなかった。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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◎編集者コラム◎ 『臨床の砦』夏川草介