◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第196回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第196回
第10章──審理 42
刑事が証言しなかった捜査の内実を、志鶴は反対尋問で引き出せるのか?

 久世が坊主頭を片手でするっとなで下ろして苦笑いを浮かべた。「犯人が訊かれたことに何でも答えるなら、われわれ警察官の仕事はもっと楽なんだよなあ」

「質問に答えてください。あなた方捜査員は、綿貫さんの着衣とは異なる繊維が由来する布製品をどうしたか、訊ねませんでしたか」

 久世が「訊きました」とかぶせ気味に答えた。感情的になっている。揺さぶりは効いている。

「あなたが作成した現場引き当たり捜査報告書には、今私が列挙した質問をした事実も、それに対して増山さんが回答したという事実も記載されていません。そうですね」

「報告書には不完全な事実は記載しないことになって──」

「質問に答えてください」

「──答えは『はい』です」

「あなた方は四時間以上かけて、さっきあなたが証言した内容の他、増山さんにそれらの質問を問い続けた。にもかかわらず、増山さんからあなた方が満足して報告書に記載できる答えを引き出すことができなかった。それは増山さんが真犯人でなく、凶器についても自転車についても、どうやって綿貫さんを現場に連れてきたかについても、綿貫さんの着衣についていた繊維が何に由来するのかもすべて知らなかったから。そう判断して捜査を打ち切ろうという捜査員はいなかったんですか」

 久世がため息をついた。「先ほども申しましたが、真犯人だからってこっちが訊いたことにぺらぺら答えるなんてことは滅多にありません。凶悪犯ほど答えを渋る傾向がある。まさに犯行を犯したその現場で、自分が犯した罪と向き合うのがおそろしいからでしょう。先生は簡単に、ご遺体の遺棄現場と殺害時の状況、と片づけていますが、それだけを聞き出すのだって一時間半くらいかかってるんです。あ、質問に答えろ、ですよね? 答えはいいえ、です」

 よし。欲しかった言葉を引き出せた。だが表情には出さないようにする。

「ちょっと待ってください。たったあれだけを聞き出すのに一時間半も──?」信じられないというように目を見開きつつ眉を寄せてみせた。「本当ですか」

「何ならもっとかかったかもしれません」

「あなたの主尋問での証言を聞くと、増山さんはまるで捜査車両を降りてすぐ遺体が遺棄されていた場所を示したかのように思えましたが、そうではなかった?」

「全然違います。少なくとも二十分はかかっています」

「捜査車両から遺棄現場までは約十メートル。普通に歩けばほんの数秒の距離ですよね。なぜそんなにかかったんですか」

「被告人がのろのろ歩いたからです」久世が増山に目を向けた。

「のろのろ──つまり、ものすごく小刻みな歩幅で歩いた、という意味ですか」

「そうじゃないですよ」苦笑する。「観念したと言っても、往生際は決してよくなかった。さっきも言いましたが、自分の中で犯した罪と向き合うのに葛藤があったんでしょう。立ち止まって考え込んだり、あちこちきょろきょろしたり、われわれの顔色をうかがったりしては歩いて、立ち止まって──そんなことのくり返しで時間がかかったんです」

 また一つ獲得目標をゲットした。今日すぐ弾劾するわけではないが今後の証人尋問で重要な布石となるものだ。書記官がちゃんと記録できるよう少し間を取った。

(つづく)
連載第197回

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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