◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第197回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第197回
第10章──審理 43
大詰めの第四回公判。捜査に当たった刑事に対し、志鶴は尋問の手を緩めない。

「漂白」目次


「遺体遺棄現場について聞き出すのに少なくとも二十分かかったと今証言されました。あなた方が増山さんを犯人と断定して、殺害時の状況を聞き出すのに約一時間十分ほどかかった。そういうことになりますね」

 そこで目を左右に泳がせた。自分がそれと知らず誘導されていたと気づいたのかもしれない。「まあ、きっちり計測していたわけじゃないですが」

「時間がかかったのも当然です。犯人でない増山さんに犯行時の記憶など存在するはずがなく、殺害状況の再現などしたくてもできない。しかし強圧的な取調べでいったん犯行を認めさせられてしまった以上、撤回するのは難しく、あなた方捜査員の前では犯人役を『演じる』他選択肢がない。そこで何とか実際の犯行の『筋書き』を想像し、客観的な状況に合わせようと努力した。あなた方捜査員が出す『ヒント』を参考に──」

「異議があります!」世良が立った。「誤導尋問です」

「異議を認める」能城だ。「弁護人は質問を変えるように」

「質問を変えます。あなた方捜査員は増山さんに、『刃物を使ったんだろ、刃物。それで何度もお腹を刺した。そうだよな?』と言いましたね?」

 世良が誤導尋問だと異議を放った。

「誤導尋問ではありません。根拠はあります」志鶴は能城に言った。「増山さんに被告人質問で証言してもらう予定です」

 能城は世良の異議を棄却した。志鶴は改めて久世に質問する。

「言っておりません」久世は平然と答えた。

「あなた方捜査員は増山さんに、『しゃがんだだけでお腹の深くまで刺せるのか?』と言いましたね?」

「言っていません」

「あなた方捜査員は増山さんに『片膝ついただけじゃバランス悪いだろう』と言いましたね?」

「言ってません」

「あなた方捜査員は増山さんに『片手で握って、しっかり力入るのか?』と言いましたね?」

「言ってません」

「あなた方捜査員は増山さんに『振りかぶらなかったら力入らないだろう?』と言いましたね?」

「言ってないですねえ」平然を装っているが、こめかみにさっきまでなかった汗の粒が浮かんでいる。

「あなた方捜査員は増山さんに『そう、しっかり振り下ろす』と言いましたね?」

「いやー、言わないなあ」

「あなた方捜査員は増山さんに『返り血を浴びたよな? それはどうしたんだ?』と言いましたね?」

「いいえ──あっ」はっとする。

「あれ? 増山さんを犯人と断定していたのに、返り血について訊かなかったんですか」

「あー、そうだった。訊きましたね、それは」こめかみから汗が流れ落ちた。久世はそれをごまかすかのように頭を手でなで下ろした。

 久世にぶつけた言葉はすべて、現場で増山が捜査員たちに言われたものだ。久世は自分たちが誘導したことを否定するのに必死なあまり、誘導ではない、訊いて当然の質問まで否定してしまった。それを示すのが狙いだった。

「終わります」

 再主尋問にも世良が立った。世良は久世に引き当たり捜査の現場で捜査員による増山への誘導はなく、増山による秘密の暴露があったと改めて証言させた。志鶴は再反対尋問をしなかった。左陪席の裁判官と裁判員一人から核心を衝(つ)いたとは言えない質問があがった。

 この日最後の証人は、弁護側が請求した科捜研化学科の研究員だった。綿貫絵里香の着衣の刺し傷の周辺部から、彼女の着衣──制服の上下と下着──には使用されていない布繊維が採取されていた。その繊維片を鑑定した担当者だ。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

「推してけ! 推してけ!」第21回 ◆『ナゾトキ・ジパング』(青柳碧人・著)
◎編集者コラム◎ 『道』白石一文