◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第198回

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第10章──審理 44
第五回公判が開廷した直後、志鶴は裁判長の能城にある要請をする。

「漂白」目次


 

     12

 五月二十九日。増山の第五回公判期日。

 傍聴席には抽選に当たった増山の母・文子の姿があった。彼女を見た増山の目が潤んだ。それを見た文子の顔が歪んだ。

 能城が開廷を告げた直後、志鶴は立ち上がった。

「裁判長、本日の証人尋問に先立って、弁護人から要請があります」

 能城が険しい目で見下ろしてくる。「何か」

「綿貫絵里香さんのソフトボールの試合映像に映っていた白いネオエースと思われる車の情報を入手しました。SNSに投稿された写真です。ナンバープレート部分にはボカシ加工がされていてナンバーは判読できません。弁護人は、このネオエースの持ち主こそ浅見萌愛さんと綿貫絵里香さんを殺害して遺体を遺棄した真犯人であると確信しています。裁判長、職権により写真を投稿したSNSのアカウントに連絡し、白いネオエースの未加工の写真を入手したうえで持ち主を特定してください」

 富岡が案じたとおり、写真を投稿したアカウントからDMへの返信は今朝になってもまだ来ていなかった。

 能城は志鶴を見下ろしたまま、しばらく微動だにしなかった。法廷に沈黙が降りる。「川村弁護人」口を開いた。「弁護人は冒頭陳述で、弁護士は探偵ではないと述べた。弁護人には未知の事実であったかもしれないが、裁判官もまた、探偵ではない──」

 傍聴席で笑いが生じた。裁判員にも微笑む者がいた。

「憲法及び刑事訴訟法で裁判官の職権行使について規定されているのは、裁判官が独立した地位を保証され、その職務上の判断に関して他から干渉を受けることはないという理念による。探偵の真似事をするというのは本分ではなく、まして弁護人に命令されて職権を行使するなどという事態はおよそこの理念と乖離(かいり)している。弁護人の請求を却下する。今後二度と同様の不当な請求をすることのないよう厳に命じる」

「裁判長のその裁定に異議を申し立てます」

「検察官?」

 世良が立った。「弁護人の異議には理由がありません」

「弁護人の異議を棄却する」

「では──ネオエースの写真につき、検察官の補充捜査を請求します」

「弁護人──!」能城が声を荒らげた。「刑事訴訟法、刑事訴訟規則のどこにも、弁護人が公判期日で検察官に補充捜査を請求できるなどと規定している条文は存在しない。これ以上法を度外視して放縦恣横(ほうじゅうしおう)に振る舞うことは許されないと心せよ。弁護人の請求を却下する。証人尋問を始める」

「司法試験のレベルも下がったものですわね」検察側の席で天宮ロラン翔子があきれたように両手を挙げ、傍聴席の笑いを誘った。

 志鶴は席に着いた。能城の反応は想定内ではあった。が、徒労感を拭いきれない。頭を切り替えるよう努める。

 今日の証人は五人。警察官二人を除いた三人はいずれもDNA鑑定に関わる技官と専門家だ。検察側が二人、弁護側が一人。三日目の鑑定証人のときと同様、傍聴席の最前列に彼らの席が確保されている。今日は通常の交互尋問だけでなく、検察側と弁護側の証人同士を相対させて行う対質尋問も予定されている。

 現場に遺されていた煙草から採取された増山のDNA、そして、綿貫絵里香の膣(ちつ)内から採取された精子のDNAについて一日がかりで争う。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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