◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第207回

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第10章──審理 53
弁護側にとって、この裁判の行方を一身に担う証人が証言台の席に着いた。

「漂白」目次


 

 休憩を挟んで開廷された。遠藤の席は空席になっている。

「裁判員の皆さんに説明します。本日の残りの証人尋問は、綿貫さんの体内から採取された精子のDNAを争点としています。検察側は、精子のDNAは漂白剤によって破壊されているので鑑定結果は信用性が低く、精子のDNAに証拠価値はないと主張しており、弁護側は反対に、精子のDNAは漂白剤によって破壊されておらず、鑑定結果は信用性が高く証拠価値があると主張しています。争点をわかりやすくするため、対質尋問という形式で行います。まず弁護側証人の主尋問、次に検察側証人の主尋問、その後、二人の専門家証人への対質尋問という流れになります」

 能城が五人目の証人を呼んだ。傍聴席から証言台へ進んだのは小柄な女性だった。ベージュのジャケットとスカートにタートルネックのニットのインナー。六十代だがどこか少女のような雰囲気を残している。人定質問と宣誓のあと、席に着いた。

 志鶴が主尋問に立った。「先生のお名前を教えてください」

「園山陽子(そのやまようこ)です」にこやかな丸顔に片えくぼが浮かんだ。柔らかいがはつらつとした声。

 検察側は、増山とは別に真犯人が存在するという弁護側の主張を潰すため、綿貫の膣内から採取された精子のDNA型鑑定について信用性を否定しようとしている。だが園山に残余試料の鑑定を依頼したところ、遠藤による鑑定とまったく同じ結果が出た。遠藤による精子のDNA型鑑定の鑑定結果は正しかったのだ。

 煙草の吸い殻のDNAより、綿貫の膣内から採取された精子のDNAの方がより直接的に犯人性を示す、はるかに強力な証拠だ。検察側の専門家証人である剱持はそれを全力で弾劾すべく、遠藤による精子のDNA型鑑定は間違っていたと証言してくるだろう。その攻撃をはねのけ、精子のDNAこそ真犯人の存在を示す最大の物的証拠であり、それが増山のDNAと一致しない以上、増山は真犯人ではあり得ないのだと法廷に知らしめる──園山はその乾坤一擲(けんこんいってき)を一身に担う証人だ。

「現在の所属は?」

「千葉県立市原大学付属法医学教育研究センターの教授をしております」

「法医学教育研究センターの教授とは、どのようなお仕事でしょう?」

「先日ここで証言された鵬修院大学法医学センターの南郷先生も語っていたと思いますが、日本は先進国の中でも変死体の解剖率が低く、死因究明という分野では後れを取っています。このような状況を改善しようと文部科学省内部にも法医学に携わる人材の育成や法医学教育の充実を目指す動きがあり、弊学でもそれに応える形で法医学教育研究センターを起ち上げました。私はそこで、学生や院生に法医学の指導をしながら、法医学教育の改革も行っています」

「法医学教育の改革というのは、具体的にはどのような?」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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