◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第208回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第208回
第10章──審理 54
警視庁の科警研を退職した園山。DNA型鑑定には豊富な経験があった。

「漂白」目次


「その二つの事件が、どんな風に科警研の退職に影響したんですか?」

「よくぞ訊いてくれました」園山がにっこり笑う。「科警研ってね、全国の都道府県の科捜研の研究員たちが研修に集まる、科捜研より上位の組織なんですよ。DNA型鑑定の資格も、科警研の研修を受けないともらえないんです。言ってみれば日本の科学捜査の最高峰、総本山。あれっ、でも変ですね。世間の注目を集めたさっきの二つの大事件で、科警研、何してました? 肝心の証拠のDNA型鑑定をしないで冤罪を生んだり、まだ確立されていないDNA型鑑定で間違った結果を出して冤罪を生んだり──完全に検察の先棒担ぎになっちゃってますよね?」裁判員に微笑みかけた。「私、犯罪被害者のために真実を明らかにしたくて科警研に入ったんです。でも実際には科警研って、警察や検察が犯人視した人を有罪にするのをサポートするのが仕事、みたいになっちゃってるんですよ。もちろん全員がそうとは言いませんけど、警察とか検察の意向に迎合しちゃう研究員が少なくないんです。捜査官は同じ警察官同士だし、検察官も同僚みたいな感じになりがちなんですよね。私は一切忖度(そんたく)しなかったので、捜査官や検察官と険悪になったこともしょっちゅうでした。それだけじゃなくて、同じ科警研の同僚たちとも」

「二つの事件の影響を具体的に教えてください」

「端的に言えば、科警研という組織に幻滅しました。足利事件でSさんに行われた『MCT118型』という鑑定法は当時世界でも科警研しか使っていない方法で信頼性が低かった。当初科警研は同じ型の人は千人に一人と言っていました。でも検査データが増えるにつれ同じ型は千人のうち二・五人、さらに五・四人、しまいには六・二三人と当初の五倍以上にまで変化したんです。びっくりでしょう?」裁判員を見上げて眉根を寄せ、小さく息をついた。「後出しでなく、二つの事件が現在進行形のときから私はそうした組織の体質を変えたいと事あるごとに声をあげていました。今例に挙げた二つ以外にも科警研が中立的でない事件は数えきれないほどあって、そのたびに。でもその結果、組織が変わるどころか私自身が同僚や上司からうとまれるようになり、やがて事件捜査の第一線から外され法科学研修所へ異動させられました。どう頑張ってもこの組織の体質は変えられない──そう断念して退職しました」

 フォトグラメトリーに関する南郷への尋問では、科警研をある種の権威として援用した側面があった。が、本筋は実地測量なしのフォトグラメトリーは日本の警察では実用化されていないという検察側の主張へのカウンターだ。園山への尋問では、剱持への対抗策として科警研、ひいては科捜研に対する一般人の──無知あるいは無関心による──信頼感に徹底して揺さぶりをかける。園山本人もそれを望んでいた。

 次いで志鶴はDNA型鑑定に関する園山の豊富な経験について証言させた。

「では、綿貫さんの膣内から採取された精液のDNA型鑑定についてお訊ねしていきます──」

 園山は、死体検案書や司法解剖鑑定書、遠藤が作成した鑑定書などを読んだうえで、同じ精液の試料の再鑑定を行った。志鶴はその鑑定が適正な環境、器具等により、遠藤が行ったのとまったく同じ手順で行われたと証言させた。

「なぜその方法で鑑定したのでしょう?」

「理由は二つあります。一つは再現性のためです。同じ手順、同じ試薬を使うことで遠藤鑑定が、少なくとも精子のDNA型鑑定については正しかったことを検証できます。それによって、精子DNAが漂白剤に汚染されたり破壊されたりしていなかったことも証明できる。もう一つは、裁判長の命令によります」

「裁判長の命令とは?」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

◎編集者コラム◎ 『海とジイ』藤岡陽子
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